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第三部 楽しむ ~絵入り本の様ざま~

奈良絵本・丹緑本

奈良絵本

室町時代後期から江戸時代前期頃まで製作されていた絵入り彩色写本を、「奈良絵本」と総称している。明治以来、書肆やコレクターの間で使用されてきた名称だが、由来ははっきりしない。奈良絵本は、時代により形態や描き方が異なる。桃山時代から江戸時代ごく初期頃のものは、縦30cm前後の大型の冊子で、巻物の名残が見られるものが多い(61、62)。寛永から江戸時代前期頃に製作され、御伽草子おとぎぞうし類に題材をとったものは、横本の形態である(63)。文字の書き手、絵の書き手、表紙を付して装訂する職人などの分業体制で作られ、「間似合まにあい」と呼ばれる料紙が用いられている。寛文・延宝頃(1661-81)には大名や富裕層を対象に、金泥銀泥などを使用して極彩色で緻密に描かれた豪華な絵本も製作された(64)。奈良絵本は江戸時代中期以降は次第に姿を消す。今日、美術史、文学史の両面から研究されている。

間似合紙
横本の奈良絵本に使われている紙を「間似合」と呼んでいる。その語源、成分等には諸説がある。

61 ゆや

  • 〔慶長(1596-1615)頃〕写 1冊 30.9×22.9cm <WA32-19>

謡曲「熊野ゆや」を絵入りの彩色写本にしたもの。詞書が画中に書かれ、絵巻の遺風のある古写本である。曲亭馬琴屋代弘賢らは、『耽奇漫録』(42)で、このような本を「絵入古本」と称して賞玩している。慶長前半頃の製作と推定され、巻末の詞書5行のみ後代の補写である。遠江国池田の宿の娘「ゆや」は平宗盛に仕えていた。病気の母から手紙が届き帰郷を願うがかなわない。清水寺の花見で歌を詠じつつ舞うと、ようやく宗盛から許しが出る、という物語。古来謡曲の中で最も好まれた曲の一つ。バジル・ホール・チェンバレン旧蔵。

62 てんじんき

  • 3巻 〔慶長(1596-1615)頃〕写 3冊  33.8×25.0cm <WA32-20>

菅原道真(845-903)が神に祀られた由来を記した天神縁起を、絵入り本にしたもの。道真は文武に秀で右大臣に上るが、藤原時平の讒言により大宰権帥だざいのごんのそつに左遷される(第1冊)。死後大宰府安楽寺に葬られ、怨霊となり都に種々の災いをもたらす(第2冊)。北野の地に天神として祀られる(第3冊)。慶長後半頃の製作と推定される大型の冊子本。料紙は上質の斐紙ひし。数丁にわたって続く挿絵の天地には水色の霞が描かれ、絵巻の名残が見られる。天神縁起は鎌倉時代初期頃に成立、多くの絵巻や写本が伝わる。展示本は「安楽寺本」の系統である。

斐紙
雁皮がんぴで作った紙をさすとされるが、諸説がある。一般には上質で光沢がある紙を斐紙と呼んでいる。

63 〔小袖曽我〕 こそでそが

  • 〔寛文・延宝(1661-81)頃〕写 1冊 17.4×25.4cm <WA32-18>

横本の奈良絵本。書名はないが、曽我十郎「すけなり」と五郎「ときむね」兄弟が、父の敵討ちを前に曽我の里に住む母を訪ね、小袖を与えられて富士野へと旅立つ、という幸若こうわか舞曲「小袖曽我」を題材にする。本文料紙は間似合紙。金泥を用いた極彩色の挿絵が9図挿入されている。詞書の上下には、文字を書く際に目安として用いた小さな押型が認められる。表紙の芯紙には、製作と同年代頃の本屋から表紙屋に宛てた手紙が反故紙として用いられており、出版史の資料としても貴重である。

64 甲陽軍鑑 こうようぐんかん

  • 35巻 〔寛文・延宝年間(1661-81)〕写 35冊 29.0×22.0cm <WA32-1>

極彩色絵入り写本。上質の斐紙に金泥や泥絵具で緻密な挿絵が描かれる。『甲陽軍鑑』は武田信玄(1521-73)、勝頼(1546-82)二代のいくさを扱った軍記。軍師山本勘介が登場し、甲州流軍学書として知られる。文中や奥書には高坂弾正こうさかだんじょう(昌信。?-1578)が記した旨が書かれているが、著者は未詳。展示本は35巻35冊で、20巻の版本とは構成が異なり、絵、詞書とも美麗な写本である。写真は巻第17、永禄元年(1558)信州川中嶋で千曲川を中に信玄と上杉謙信が対面する場面。馬上が信玄、床机に腰掛ける人物が謙信。

丹緑本たんろくぼん

丹緑本とは、寛永-万治頃(1624-61)の京都の版元が、御伽草子、仮名草子等の版本の挿絵に、丹(鉛丹)、緑(岩緑青)、黄等の筆彩色を施したものを指す。時期や題材などは奈良絵本と重なる部分が多い。その名称もやはり近代になってからのものである。丹緑本の筆彩の仕方は一様ではなく、古活字版(65)や、整版の御伽草子類(66)など、刊行時期や内容によって違いが見られる。江戸時代後期、柳亭種彦(1783-1842)が『用捨箱ようしゃばこ』に、「丹緑青たんろくしやうを筆にまかせ彩色いろとるともなく点じていと古雅なり」と記して愛好した「えどり本」は、古浄瑠璃本の類に簡単に丹と緑で彩色したもの(67)を指すのではないかといわれている。現存する丹緑本の多くは、年月の経過により破損や褪色が進んでおり、本格的な資料調査が難しいことから、その製作方法など未だ不明の点が多く、今後の研究が待たれている。

65 義経記 ぎけいき

  • 8巻 〔元和・寛永(1615-44)頃〕刊 8冊 27.5×19.5cm <WA7-266>

古活字版。源義経の生涯を主題にした軍記。室町時代に成立、舞曲、能、浄瑠璃、歌舞伎等の題材となり、江戸時代を通じて版本も数多い。展示本は、挿絵入り『義経記』の最初の版本。川瀬一馬氏の分類では第二種イ本にあたる。江戸時代初期と推定される、紺地に金泥で草花等を描いた表紙が付される。挿絵は全66図。丹、緑、黄、茶、あずき、紺の彩色が施されている。展示本は欠丁のない揃本。京都大学附属図書館、京都興正寺に同版があり、どちらも当館本と同様の彩色が施されているが、完本ではない。写真は巻3の26丁表。五条天神前の義経と弁慶。

66 くまのゝほんち

  • 3巻 〔寛永後半-正保頃(1633-48)〕刊 3冊 27.4×17.8cm <WB2-9>

熊野権現の縁起。天竺「まかたこく」の王子は、山中で殺された母「御すいでんのにょうご」に守られ成長する。仏の力により母が蘇生、父王とも再会し、やがて親子三人は日本に飛来、熊野の神々となった、という物語である。丹緑本『熊野の本地』には挿絵が多い。わけても下巻の連続18図にわたる見開き絵は、熊野の山々や神社仏閣が丹、緑、黄、紫に彩られ、圧巻である。同版の上田市立図書館、天理図書館、日本民芸館、黒船館、ニューヨーク・パブリック・ライブラリー所蔵本にも、同様の彩色が施されている。江戸時代前期頃に流行した熊野信仰と密接な関係のある資料。

67 待賢門平氏合戦 たいけんもんへいじかっせん

  • 2巻 京都 さうしや九兵衛 寛永20(1643)刊 1冊 18.7×12.8cm <京-328>

六段構成の絵入り古浄瑠璃本。京の草紙屋山本九兵衛から出版された。平治の乱で待賢門の戦いに敗れた源義朝と、その家来鎌田正清の最期を扱い、幸若舞曲「鎌田」と関係の深い浄瑠璃である。展示本は補修の手が入っているが、同版の伝本は知られていない。挿絵には、朱と緑で簡単に彩色が施されている。柳亭種彦のいう「えどり本」は、この類の本かと推測される。写真は上巻2丁表、藤原信頼が三条殿に火を放つ場面。