1855年第1回パリ万博

ナポレオン三世の野心

【コラム】パリ万博とワインの格付け

フランスのワインが世界のブランドとして地位を築いたのは、19世紀半ば以降のことである。それまでは主に産地とその周辺で消費するだけであったワインが、鉄道網の整備と税制の緩和により、フランス全体で、また全世界への輸出品として消費されるようになりつつあった。さらにブランド化に一役かったのが、1855年の第1回パリ万博であった。

パリ万博を開催したナポレオン三世は、地理的にパリよりも近いイギリスにすでに輸出されていたボルドーワインを、万博農産部門の目玉に選び、この万博を契機にボルドーワインの格付けを命じた。ボルドー市は商工会議所に依頼し、すでに価格に基づくリストを作成していた仲買人組合が格付けを行った。メドック地方のシャトーから、約60の赤ワインが1級から5級までの5段階で評価され、第1級に選ばれたのは、メドック地区の「シャトー・ラフィット・ロートシルト」、「シャトー・マルゴー」、「シャトー・ラトゥール」、グラーブ地区の「シャトー・オー・ブリオン」という今日でも有名な4つのシャトーである。この格付けは現在でも買い手の目安となっている。ただし、パリ万博で金賞を受賞したのは「シャトー・ラフィット・ロートシルト」、「シャトー・マルゴー」、「シャトー・ラトゥール」の3つであり、「シャトー・オー・ブリオン」は銅賞にとどまっている。これは、商工会議所の格付けはその年の出来だけではなくこれまでの実績を踏まえているからである。(現在「1855年の格付け」とされているのは、商工会議所のものである。)

また、1867年の第2回パリ万博では、細菌学者のパストゥール(L. Pasteur)がワインの病変とその防止に役立つ「低温殺菌法」でグラン・プリを受賞した。「低温殺菌法」とは、酵母が引き起こすアルコール発酵と細菌が引き起こす有害な発酵を区別し、変質を引き起こす菌を加熱することで殺菌するというもので、この技術の発明によって安価に世界各国にワインの輸出が可能になり、ワインの格付けと共にフランス・ワインの名声の確立に貢献することとなった。

参考文献:

鹿島茂 「パリ万博絶景博物館(39)ワインのランク付け」 (『施工』 396号 1998.10 <Z16-72>)
久島伸昭 『「万博」発明発見50の物語』 講談社 2004 <D7-H45>
ジルベール・ガリエ著 ; 八木尚子訳 『ワインの文化史』 筑摩書房 2004 <DL687-H100>
山本博 『ワインが語るフランスの歴史』 白水社 2003 <DL687-H30>