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日本十進分類法(NDC)の歴史 前編

NDL書誌情報ニュースレター

NDL書誌情報ニュースレター2016年4号(通号39号)

【はじめに】

2014年12月、日本十進分類法(Nippon Decimal Classification:NDC)新訂10版が刊行されました。新訂9版から約20年ぶりとなる改訂です。国立国会図書館(NDL)では、2017年4月の新訂10版適用に向けて、準備を進めています。

日本の図書館の大半で共通に採用され、今や日本の「標準分類法」としてゆるぎない地位を築いているNDC。それはどのようにして生まれ、そしてどのような変化を遂げてきたのでしょうか。新訂10版の適用を前に、NDCの刊行から現在に至るまでの来し方を、2回にわたって改めて振り返ってみたいと思います。

今号は前編として、NDCの誕生前からNDCが日本の標準分類法として確立するまでの、次号では後編として、その後数回の改訂を経て新訂10版が刊行されるまでの歴史をご紹介します。

1. NDC前史

まずはNDCの成立の背景を考えるために、明治時代(1868-1912)に遡って日本の図書館分類法を見てみましょう。明治以降、NDCが標準分類法として認められるまで、名実ともに標準分類法と呼べる分類法は日本に存在しませんでした。そのため当時の図書館は、規模や種類に応じて分類法を自ら作成する必要がありました。

(1)八門分類

分類法を作成するにあたって各図書館がまず参考にしたのが、東京図書館(後の帝国図書館)によって1887(明治20)年に制定された八門分類です[1]。しかし八門分類は、分類目録の編成にのみ使用される書誌分類であり、分類記号を有していないという欠点がありました[2]

帝国図書館では、資料の主題とは関係なく、書庫に大きさや受入順に並べて管理していました(固定排架法)。資料の排架場所を分類記号で示す必然性は特になかったのです。当時の大規模な閉架式図書館も、多くはこの方式を採用していました[3]

しかし、蔵書が増えてくると、固定排架法では出納作業やレファレンス業務に支障が出始め、資料を主題に応じて書架に並べるための書架分類法が求められるようになっていきます。それにともなって八門分類は次第に権威を失っていきました。

(2)十進分類法

八門分類に替わって日本の分類法に大きな影響を与えたのは、デューイ(Melvil Dewey, 1851-1931)が1876(明治9)年に発表した十進分類法(Dewey Decimal Classification:DDC)でした[4]

DDCは、0から9の数字を用い、主題を十進法によって表現するわかりやすい記号法と、詳細な相関索引を発案したことで、英語圏の図書館に普及し、標準分類法としての地位を確立していました。現在では、従来の固定排架法から移動排架法へと道を開いた分類法として、高く評価されています[5]

DDCに関する情報が日本に紹介されたのは、1892(明治25)年に刊行された西村竹間著『図書館管理法』[6]が最初といわれています[7]。1900(明治33)年に刊行された文部省編『図書館管理法』[8]にDDCの100区分が掲載されるなど、DDCは日本の図書館界に広く知られていました。

日本で最初の十進分類法については諸説ありますが、1900年前後にはDDCを参考とした分類法が登場し[9]、1910年代には多くの図書館でDDCを応用した分類法が作成されたことがわかっています[10]。このうち、佐野友三郎(1864-1920)によって1909(明治42)年に作成された「山口図書館分類表」は、八門分類の8類を10類に再編成して十進記号を付したもので、図書館界に大きな影響を与えました[11]

十進分類法が広まるのと軌を一にして、標準分類法を求める声が盛んになります。まず、1910(明治43)年の日本図書館協会総会で「各図書館に於ける分類法を一定する事」が議題に上りますが、この時は否決されました[12]。その後、1918(大正7)年に全国府県立図書館長会議で「標準分類法制定に関する件」が取り上げられると、翌1919(大正8)年の府県立図書館協議会で、ついに「山口図書館分類表の百区分を標準分類表とする」ことが決定されました[13]

しかし、この決定にもかかわらず、山口図書館分類表が全国の図書館に普及・定着することはありませんでした。その原因としては、(a)そもそも図書館にとって分類法の全面的な変更には大変な労力がかかること[14]、(b)変更を決意したとしても、わずか100区分の表では実用的といえず、山口図書館分類表を改変する図書館が相次いだこと[15]等が挙げられています。

(3)標準分類法を求める背景

山口図書館分類表による統一は失敗に終わりましたが、図書館分類法の標準化を求める動きは昭和時代に入って再び活発化します。こうした動きの背景には、図書館の量的な拡大がありました。

日本では、公共図書館が社会的に認知され始める1897(明治30)年前後から、各地で図書館が新設されるようになりました[16]。大正時代(1912-1926)に入ると図書館数は飛躍的に増え、特に1922~1926年の5年間には、1,966館も新設されています[17]。しかし、量的には増えたものの、図書館経営のノウハウはいまだ整備されたといえない状況でした。町村図書館に関する講演会において、講演者の今澤慈海(1882-1968)に向けて一人の図書館員が発した質問からは、当時の図書館が何を切実に望んでいたかをうかがうことができます。

「私達は、町村図書館をいかに経営すべきかと云ふ具体的問題に就て、一層切実なる必要を感じてゐるもので、従つて、聞き度いのも亦、此の点であります。分類はどうするか。本の並べ方如何?目録の作成法乃至は書庫を開放してやるべきか。貸出の運用を、適当に行ふ方法如何といふ、具体的問題に就て、聞かして頂けませんか。」[18]

図書館経営の指針となる基準は焦眉の課題であり、標準分類法の制定はその最たるものだったのです。

こうした状況の中[19]、1927(昭和2)年、『図書館雑誌』に「昭和の新年を迎へて標準分類制定速成案を提唱す」が掲載され、標準分類法を誌上で研究・討議し、案を整備していくことが提案されました[20]。標準分類法の制定に向けた動きは、この提言が端緒となって再び活発になったといわれています[21]。そうした中で登場したのがNDCでした。

2. NDCの誕生

(1)和洋図書共用十進分類表案とNDC

NDCの創案者であるもり・きよし(森清)は、1906(明治39)年に大阪で生まれ、大阪市立実業学校商業本科に在学中、ローマ字運動に参加したことがきっかけで間宮不二雄(1890-1970)に出会います[22]

間宮不二雄は、1922(大正11)年に日本初の図書館用品専門店「間宮商店」を大阪で創業、図書館用品の発売や図書館学の研究書等を出版した実業家であり、図書館学の研究者でもありました[23]。1927年には若手の図書館員を糾合して「青年図書館員聯盟」を結成し、整理業務の標準化にあたるなど、図書館界の発展に尽力した人物として知られています[24]

1922(大正11)年、間宮商店に就職したもりは、業務の傍ら、図書館学を中心とする業務参考コレクション「間宮文庫」の整理にあたります。間宮文庫はDDC12版で整理されており、その分類整理業務はNDCを作る素因となりました[25]

1928(昭和3)年、もりは、青年図書館員聯盟の機関紙『圕研究』第1巻2号・3号に「和洋図書共用十進分類表案」を発表します[26][27] 。もりは、一般図書館向けには最も記憶しやすくわかりやすい十進記号法が適しているとして十進分類法を採用しますが、第1次区分の排列は、DDCではなく、カッター(Charles Ammi Cutter, 1837-1903)の展開分類法を基にしました。また、DDCにならって詳細な相関索引を用意しました。

1年後の1929(昭和4)年、もりはこの案に基づいて『日本十進分類法:和漢洋書共用分類表及索引』を刊行します[28]。英語名は“Nippon Decimal Classification”、NDCの誕生です[29]。発行日はもりの誕生日である8月25日でした。

(2)「標準分類表問題」論争

NDCの登場は、図書館界に大きな反響を呼びました。NDCを高く評価したのは、当時和歌山高等商業学校図書課に勤務していた鈴木賢祐(1897-1967)です。鈴木は、「どれが標準分類表か?」と題する論文を『図書館雑誌』に2回に分けて発表します[30][31]。その中で鈴木は、著名な図書館学者であるリチャードソン(E. C. Richardson, 1860-1939)、セイヤーズ(W. C. Berwick Sayers, 1881-1960)の説を折衷した以下の基準[32]に基づき、NDCのほか、NDCとほぼ時を同じくして発表された二つの標準分類表案[33][34]を比較検討しました。

  • (a)でき得る限り事物の順序に従はねばならない。(中略)それ故に分類法は複雑の順序、歴史の順序、換言すれば進化の順序に従はねばならない。
  • (b)緻密にできてゐなくてはならない。
  • (c)混成の、但し分のいい十進基数を含む記号を用ひ、不定の細分にたへるやうな記号法を具へてゐなくてはならない。
  • (d)詳細にして列挙的な索引を備へてゐなくてはならない。
  • (e)かかる分類法の価値はその普及の度に正比例して増大する。

それぞれの基準に基づく検討結果は、次のようなものでした。

  • (a)最も学問的であると評価されるカッターの展開分類法にならって第1次区分を排列したNDCが、三案の中で最も理論的である。
  • (b)緻密さにおいて、NDCは他の二案のみならず、これまでの日本の一般分類表の中で最も優れている。また、形式区分も三案の中では最も周到に用意されている。
  • (c)三案すべてが十進記号法であり、三つの案いずれも基準に適っている。
  • (d)三案の中でNDCだけが詳細で整備された索引を有している。

以上から鈴木は、NDCを「所謂標準分類表たるに充分である」と結論づけ、「わが国における近代図書館事業始まって以来の大収穫であり、斯業の発達程度を物語る好個の記念碑」だと絶賛しました。

鈴木の論文に対して、自身の分類表案を批評された毛利宮彦(1887-1957)、当時日本図書館協会顧問であった和田萬吉(1865-1934)が相次いで批判し[35][36]、それぞれに鈴木が反論する[37][38]という形で、いわゆる「標準分類表問題」[39]論争が起こりました。ここでは、和田と鈴木の論争を見てみましょう。

和田の批判は、NDCというよりも図書館分類法を統一しようとする運動そのものに向けられていました。和田の論点はだいたい次のように整理することができます[40]

  • (a)標準分類法ができても新主題の出現ですぐに時代遅れになる。完璧な分類法はあり得ない。
  • (b)規模や種類の異なる図書館が統一された分類法を画一的に適用する必要はない。
  • (c)各図書館が分類法を作成する際に参考となる分類法は、すでに国内外に存在する。
  • (d)自館の分類法を使いこなせる分類作業者の能力向上の方が先決である。

そして和田は、「立派な分類表が出来るのは随分結構な事」だが、「五百年も千年も有効で千館万館に共通するやうな方式が出来ようなどとは望まぬ、又望まれぬ」と結論づけました。和田の批判は、当時標準分類法の制定に懐疑的であった人々の意見を代弁していると見ることができるでしょう[41]

これに対して鈴木は、まず、標準分類法の意義について、(a)標準分類表によって、各図書館で「一夜造り的な」分類法を作って分類する労力が削減されること、(b)複数の図書館の利用者にとって、検索能率が向上することの2点を挙げ、特に(b)について「図書館本来の目的が―特に公共図書館において―主として図書の利用にあることを考へれば、問題の重点はむしろこの方にあるといへよう。」と断言します。続いて鈴木は、和田の批判に対して次のように反論します。

  • (a)1876(明治9)年のDDC制定以後のいわゆる近代的図書館分類法では展開性や助記性に富んだ記号法と用意周到な索引が用意されており、新主題への適応は可能である。現存するすべての図書館分類法が時代遅れという命題は、新しい分類法の必要をこそ指示するはずである。
  • (b)標準分類法にはさまざまな使用法に対応した変通性が具備されており、分類表作成者の意図を超えない限りで、個々の事情に応じて自由に標準分類法を扱って良い。
  • (c)DDCも含め、現在使われている図書館分類法は、日本の標準分類法として不適切である。NDCが「現存のわが国の分類表のうちで、所謂近代的図書分類表の形態と機構とを備へてゐる唯一のもの」である。
  • (d)標準分類法は、個々の分類作業者の限られた能力を補足し助長するための最も実際的で有効な手段である。

これまでの標準分類法に関する議論が図書館急増への対応策として語られがちであったことを考えると、このような公開の論争で、利用者の観点から標準分類法の必要性を説いた鈴木の論考は重要です。鈴木はドキュメンテーションの大家であるブラッドフォード(Samuel C. Bradford, 1878-1948)の論文を引用する形で、標準分類法による総合目録の可能性も示唆していました。

「標準分類表問題」論争に限らず、この後も、NDCにはさまざまな厳しい批判が数多く寄せられました[42]。もり・きよしは、これらの批判をバネに精力的にNDCの改訂に取り組み、1942(昭和17)年には訂正増補第5版を出すに至ります。

(3)NDCの普及

鈴木賢祐は理論面でNDCを支援しましたが、実務面では当時帝国図書館員であった加藤宗厚(1895-1981)の支援がありました。刊行後すぐにNDC初版を目にした加藤は、「これこそ真のDC(執筆者注:DDC)の日本化である」と驚嘆し、早速、当時講師を務めていた文部省図書館講習所の図書分類法の講義テキストにNDCを採用します[43]。また、翌1930(昭和5)年に『図書館雑誌』の編集を担当すると、8月号から「日本図書館協会選定新刊図書目録」をNDCによる分類に切り替えました[44]

これらが契機となり、次第にNDCを採用する図書館が出てきます。1932(昭和7)年時点でNDCを採用した図書館は46館[45]、1945(昭和20)年頃には100館前後が採用していたといいます[46]。海外でも米国議会図書館やコロンビア大学図書館の日本語資料でNDCが使用されました[47]

とはいえこの段階では、NDCはまだ数ある図書館分類法の一つに過ぎませんでした。NDCが標準分類法として広く認められるには、第二次世界大戦後を待たねばなりません[48]

(4)標準分類法の成立

戦後、各地の公共図書館が戦災復興に取り組む中で、NDCの需要は急速に高まります。1947(昭和22)年から1949(昭和24)年の間に、NDCは抄録第6版(総表(現在の細目表)のみ)、縮刷第7版、8版(いずれも内容は5版そのまま)が相次いで刊行されました[49]。1948(昭和23)年8月時点で「中央図書館でも7、8館、地方図書館を含めて400(館)」がNDCを使用していたといわれています[50]

また、戦後は学校図書館の整備も進みました。1947(昭和22)年の学校教育法施行規則で学校図書館が学校の必置施設となると、翌1948(昭和23)年に刊行された文部省編『学校図書館の手引』で、従来の教科目別分類に替わって、NDCが学校図書館の分類法に推奨されます[51]。『学校図書館の手引』にNDCを掲載するに当たっては、加藤宗厚の尽力がありました。これによってNDCが「国定に準ずる」結果となると受け止められ[52]、NDCが標準分類法として認められるきっかけとなりました。

そしてもう一つのきっかけは、1948(昭和23)年にNDLがNDCを採用したことでした[53]。設立間もないNDLは、1948年7月から暫定的にNDC5版を適用して和漢書の整理を開始します(洋書には9月からDDC13版を適用)[54]。また、これと前後して、GHQ/SCAP CIE特別顧問として来日したイリノイ大学図書館長のロバート・B・ダウンズ(Robert Bingham Downs, 1903-1991)は、いわゆる「ダウンズ報告」[55]で「和漢書に対してはNDCを、洋書に対してはDC(執筆者注:DDC)15版を採用する」ことを勧告します。ダウンズは、各図書館がNDLの付与した分類記号を利用できるよう、NDLが先達となって分類法を統一するべきだと考えていました[56]

これらが契機となり、NDCは日本の図書館界に急速に普及していきました。1964(昭和39)年に行われた調査では公共図書館の約97%、大学図書館の70%が[57]、2008(平成20)年の調査では公共図書館の99%、大学図書館の92%がNDCを使用していることがわかっています[58]。現在では名実ともに日本の標準分類法の地位を確立するに至りました。

なお、1948(昭和23)年、これまでもり・きよしの個人著作であったNDCの改訂編集は、日本図書館協会分類委員会(当初は加藤を委員長とする「分類及び目録委員会」でした)の手に移り、図書館界の共有財産として、組織的に維持管理していくことになりました。委員会体制に移行した後も、もりは原編者として分類委員会に残り、1986(昭和61)年に引退するまで引き続き改訂作業の中核を担っていきます[59]

【おわりに】

今号では、NDCが日本の標準分類法としての地位を確立するまでの歴史をご紹介しました。次号の後編では、標準分類法として確立してから新訂10版までの歴史をご紹介します。

髙橋 良平
(たかはし りょうへい 総務部 企画課)

[1] 服部金太郎. 図書館分類法の100年略史. 現代の図書館. 1969, 7(1), p. 17-25.

[2] たとえば、帝国図書館編『帝国図書館和漢図書分類目録. 第1、2門』の目次を見ると、第1門の「社寺」には分類記号に該当するものがないことがわかります(下図の赤の傍線部分)。
帝国図書館編. 帝国図書館和漢図書分類目録. 第1、2門. 帝国図書館, 1904, p.1.
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991399, (参照 2016-11-28).

[3] 鈴木宏宗. 国立国会図書館の和図書. 国立国会図書館月報. 2011, (600), p. 20-29.
国立国会図書館デジタルコレクションでも以下のURLでご覧いただけます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3050791, (参照 2016-11-28).

[4] 藤倉恵一. 日本十進分類法の登場とその時代. 大学図書館問題研究会誌. 2014, (38), p. 1-14.

[5] 今まど子, 西田俊子. 資料分類法及び演習. 第2版, 樹村房, 1999, p. 25.

[6] 西村竹間. 図書館管理法. 金港堂, 1892, p. 23.
国立国会図書館デジタルコレクションでも以下のURLでご覧いただけます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897155, (参照 2016-11-28).

[7] もり・きよし. NDC五十年雑記. 図書館雑誌. 1979, 73(8), p. 391-393.

[8] 文部省. 図書館管理法. 文部省, 1900, p. 48-57.
国立国会図書館デジタルコレクションでも以下のURLでご覧いただけます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991346, (参照 2016-11-28).

[9] これまで、京都府立図書館が1899(明治32)年に採用した分類法が日本初の十進分類法とされてきましたが、現在では、1899年から1906(明治39)年まで創定年に複数の説があります。現在の京都府立図書館のホームページでは1904年を創定年としており、その場合には、1902~1903年に創定されたと考えられる京都帝国大学附属図書館分類表が日本初の十進分類法となる可能性があります。
京都府立図書館. “沿革”. https://www.library.pref.kyoto.jp/?page_id=77, (参照 2016-10-12).
呑海沙織. 昭和初期の私立大学図書館における図書分類法. 資料組織化研究-e. 2010, (58), p. 22-23, http://techser.info/wp-content/uploads/2015/01/58-201003-2-PB.pdf, (参照 2016-12-06).

[10] 村島靖雄. 和漢図書の分類に就いて. 図書館雑誌. 1915, (24), p. 6-11.

[11] 加藤宗厚は、山口図書館分類表について、「日本の伝統を多分にとり入れている八門分類に新しい十進の衣をきせた」ものと述べています。
加藤宗厚. NDCの将来. 図書館学会年報. 1967, 14(1), p. 1-15.

[12] 第1部会(公共図書館部会)で討議されました。部会の委員長は湯浅吉郎(1858-1943)でした。否決された理由は、『図書館雑誌』の記事からはうかがい知ることはできません。
本会記事. 図書館雑誌. 1911, (11), p. 57-65.

[13] 図書館分類法協定ノ件(府県立図書館協議会協定要項). 図書館雑誌. 1919, (39), p. 69.

[14] 服部. 前掲注 [1].

[15] 加藤宗厚. 図書分類法要説. 改訂増補版, 理想社, 1959, p. 165.

[16] 永嶺重敏. 〈読書国民〉の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化. 日本エディタースクール出版部, 2004, p. 198-205.

[17] 岩猿敏生. 日本図書館史概説. 日外アソシエーツ, 2007, p. 189-190.

[18] 仙田正雄. 道具の標準化に就て. 図書館雑誌. 1930, (126), p. 90-94.

[19] 旧制高校専門学校でも、標準分類法を求める動きが活発でした。
加藤. 前掲注 [11].

[20] 昭和の新年を迎へて標準分類制定速成案を提唱す. 図書館雑誌. 1927, 21(1), p. 39.

[21] 加藤宗厚. 公共図書館の図書分類表統一問題. 図書館雑誌. 1948, 42(3), p. 172-174.

[22] もり・きよし. 司書55年の思い出. もり・きよし氏を偲ぶ会, 1991, p. 6-9.

[23] 藤倉. 前掲注 [4].

[24] 間宮は、1926(大正15)年11月から1928(昭和3)年5月までの1年7か月の間、『図書館雑誌』の編集・発行を日本図書館協会から委嘱され、誌面の改革に精力的に取り組みました。
志保田務. 間宮不二雄と『図書館雑誌』,『圕研究』. 桃山学院大学経済経営論集. 2005, 46(4), p. 1-17.

[25] もり. 前掲注 [22].

[26] 森清. 和洋図書共用十進分類表案. 圕研究. 1928, 1(2), p. 121-161.

[27] 森清. 和洋図書共用十進分類表案II 相関索引. 圕研究. 1928, 1(3), p. [380]-426.

[28] 森清. 日本十進分類法:和漢洋書共用分類表及索引. 間宮商店, 1929, 212p.
標題である『日本十進分類法』は、間宮不二雄の選定推薦によるものでした。
間宮不二雄. 日本十進分類法普及化に想う. 図書館雑誌. 1965, 53(9), p. 386-387.

[29] 英語名にNipponを採用したのは、日本人自らがJapanと呼ぶ慣習に抗する意図がありました。以後、”Nippon”、”Nipponese”の表記は、NDC新訂10版で”Japan”、”Japanese”に変更されるまで、分類表の英文項目名として使用されました。
もり. 前掲注 [7].

[30] 鈴木賢祐. どれが標準分類表か?(一)乙部案-毛利案-森案. 図書館雑誌. 1929, (119), p. 262-265.

[31] 鈴木賢祐. どれが標準分類表か?(二)乙部案-毛利案-森案. 図書館雑誌. 1929, (120), p. 292-294.

[32] 鈴木. 前掲注 [30].

[33] 乙部泉三郎. すぐ役に立つ図書の整理法. 一二三館書店, 1929, 23, 24p.
乙部泉三郎(1897-1977)による案は、1929(昭和4)年に新設開館された県立長野図書館の蔵書整理のために作成されたものでした。

[34] 毛利宮彦. 図書分類法の一つの私案. 図書館雑誌. 1929, (117), p. 213-222.

[35] 毛利宮彦. 所謂「標準分類表」の批評について. 図書館雑誌. 1930, (124), p. 37-42.

[36] 和田萬吉. 「分類法式の画一に就いて」の一考察. 図書館雑誌. 1931, 25(2), p. 41-43.

[37] 鈴木賢祐. 標準分類法はあり得る、ある:毛利氏の「所謂『分類表』の批評について」に対へて. 図書館雑誌. 1930, (129), p. 188-195.

[38] 鈴木賢祐. 分類の標準化に関する若干問題:「分類法式の画一に就いての一考察」を読んで和田博士の高教を仰ぐ。. 図書館雑誌. 1931, 25(8), p. 281-290.

[39] 加藤. 前掲注 [11].

[40] 和田. 前掲注 [36].

[41] たとえば、1930(昭和5)年の全国図書館大会で「本邦図書館標準分類法如何」を協議した際、南葵音楽図書館掌書長だった喜多村進(1889-1958)は「標準分類は千冊位を蔵書する小図書館にはそれほど必要はなからうと思ふ」と発言しています。
第二十四回全国図書館大会記事. 図書館雑誌. 1930, (128), p. 149-167.
ちなみに、以下の研究では、「第二期に入った図書館運動の中で和田が必要と考えていたのは、(中略)館種の個性を発揮して図書館の普及に努めて行」くことだったという新しい論点が提示されています。和田が標準分類法を「画一」とみなすのも、このような考えから来ている可能性があり、今後の検討が待たれます。
長尾宗典. “和田万吉の事績と大学図書館”. 図書館史勉強会@関西 関西文脈の会.
http://toshokanshi-w.blogspot.jp/2012/08/43-14.html, (参照 2016-10-19).

[42] 藤倉恵一. 日本十進分類法の史的研究:黎明期(1928-1949). TP&Dフォーラムシリーズ:整理技術・情報管理等研究論集. 2013, (22), p. 29-46.

[43] 加藤宗厚. NDC50年. 図書館雑誌. 1979, 73(8), p. 394-395.

[44] 日本図書館協会選定新刊図書目録. 図書館雑誌. 1930, (129), p. 203-208.

[45] 間宮不二雄. 日本十進分類法採用状況. 図書館雑誌. 1932, 26(2), p. 46.

[46] 加藤. 前掲注 [11].

[47] このうち、米国議会図書館については、NDC4版を採用したことが仙田正雄により報告されています。
仙田正雄. 米国議院圕東洋部職務記. 圕研究. 1942, 15(1), p. 53-73.

[48] 1931(昭和6)年の第25回全国図書館大会で「標準分類表トシテ森清編「日本十進分類法」を認定スル決議案」が提出されますが、出席者113名のうち延期(保留)67名で否決されました。
第二十五回全国図書館大会記事. 図書館雑誌. 1931, 25(11), p. 384-414.

[49] 藤倉恵一. “序文に見る日本十進分類法概史”. 分類研究分科会の60年、NDCへのこの10年. 分類研究分科会, 私立大学図書館協会東地区部会研究部分類研究分科会, 2016, p. 87-105.

[50] 加藤宗厚. 国立国会図書館とNDC. 図書館界. 1950, 2(2), p. 26-34.
ただし、採用館数には諸説あって、はっきりしたことはわかっていません。
宮坂逸郎. 大調査図書館における書架分類の再検討:特に国立国会図書館の事例を中心とする. 図書館研究シリーズ. 1962, (7), p. 93-163.

[51] 文部省. 学校図書館の手引. 師範学校教科書, 1948, p. 30-38.
国立国会図書館デジタルコレクションでも以下のURLでご覧いただけます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122721, (参照 2016-11-28).
加藤宗厚. 「学校図書館の手引」とNDC. 図書館雑誌. 1950. 44(1), p. 4-9.

[52] 加藤宗厚. 前掲注 [50].

[53] 経緯については、宮坂. 前掲注 [50]. 加藤. 前掲注 [50]. が参考になります。

[54] 国立国会図書館編. 国立国会図書館三十年史. 1979, p. 219.

[55] 正式名は「国立国会図書館に於ける図書整理、文献参考サーヴィス並びに全般的組織に関する報告」。報告の和訳が『国立国会図書館三十年史 資料編』に掲載されています。
“ダウンズ報告書”. 国立国会図書館三十年史. 資料編. 国立国会図書館編, 1980, p. 338-355.

[56] 前掲注 [55], p. 339.

[57] もり・きよし. NDCのつかい方. 日本図書館協会, 1966, p. 19-20.

[58] 大曲俊雄. わが国における図書分類表の使用状況:日本図書館協会「図書の分類に関する調査」結果より. 現代の図書館. 2010, 48(2), p. 129-141.

[59] もりは、間宮書店を1930(昭和5)年に退職後、鳥取県立図書館司書等を経て、戦後は国立国会図書館に入館し、おもにNDLの書誌調整業務を担いました。
金中利和. 「日本十進分類法」の創案者--もり・きよしさん. 国立国会図書館月報. 1991, (358), p. 16-17.


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NDL書誌情報ニュースレター(年4回刊)

ISSN 1882-0468/ISSN-L 1882-0468
2016年4号(通号39号) 2016年12月22日発行

編集 国立国会図書館収集書誌部
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