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これが明治の暗号盤

明治2年8月9日(1869年9月14日に相当)、東京・横浜間で開業した電信は明治10年代半ばには日本列島主要部に延伸した。当時最新の高速メディアとして行政(特に公安)・経済情報の伝達に重宝がられたが、電信には一つ問題点がある。それは情報の中身を第三者の電信局員に見られてしまうということである。大デュマの「モンテ・クリスト伯」には局員(電信局ではなく、腕木信号所だが)を買収して僞信を送らせるという一節があるが、見知らぬ局員に通信内容を見られるのは何とも不安である。そこで電信開業直後から暗号で電信を送ることが公認され、広く行われて来た。明治後期には相場用語を満載した経済情報送受信用の暗号集が市販されていたほどだ。


大隈重信[肖像]
大隈重信
『近世名士写真』其2 所収
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行政情報の伝達でも暗号が使われ、明治8年ころから史料に散見する。「三島通庸関係文書」には内務省・大蔵省と県庁の間の交信のための暗号表が数点残されているが、それらはすべて本来の文字(実字)に対して暗号文字(暗字、換字、換用字などと呼ぶ)を一つずつ割り振ったものである(単一換字式暗号表)。初めのうちはイロハ順に対して末尾から逆にイロハを配したり、アイウエオ順をあてはめただけの単純なものだったが、明治12年3月のものは不規則に暗字を配置して解読されにくいように工夫を施している(暗号学では、解読されにくいことを「暗号強度が高い」と呼び、解読することを「暗号を破る」と言う)。これら行政暗号の中でひときわ目につくのが明治12年11月制定の暗号盤である。大小2つの円盤に実字と暗字が配してあり、小円盤(内圏)には窓が開けられている。この窓には壹から五までの漢数字が覗くようになっており、5通りの暗号表として使えるという代物である。しかも実字のすぐ外側に暗字が対応表示されるという便利さである(実物を画像化してあるので、関心のある方はプリントアウトしたものを厚紙に貼りつけて復元試用していただきたい)。ローテク時代のすぐれ物と言いたいところだが、実字がイロハの右回り、暗字が左回りという単純さが折角の工夫を損ねている。昭和30年代後半の『少年』の付録「少年探偵セット」にも同様の暗号盤がついて来たが、もっと暗号強度が高かったような気がする。

暗号改正ニ付県令宛大蔵卿(大隈重信)通知 明治12年11月12日「三島通庸関係文書」474-10

暗号改正ニ付県令宛大蔵卿(大隈重信)通知  明治12年11月12日「三島通庸関係文書」474-10[史料画像]
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