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江戸時代博物誌の特色

江戸時代の博物誌は中国の本草や園芸を土台にして形作られましたが、日本なりの特色をもち、中国とは異なる方向に発展しました。ここでは、以下の4つの点について簡単にまとめておきます。

① 和品の重視

6世紀に本草書 (薬学書) が初めて伝来してからの約1,000年間は、中国と日本の動植物は同じと思われていたようです。しかし、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて外国との交易がさかんになり、多くの人々が異国に出かけるようになると、日本産と外国産の動植物の間に呼び名や形態の相違があることが広く認識されるようになりました。その結果、江戸時代の著作には日本産の動植物 (和品) が多くとりあげられるようになりました。

② 園芸の発展と植木屋の寄与

江戸時代には園芸が盛んになり、将軍から庶民まで幅広い層に拡がりました。それも、中国ともヨーロッパとも異なる日本独自の方向に発展し、当時世界一のレベルに達しました。江戸中期以降は園芸書が続出し、博物書の草木の記述でも園芸品に言及することが多くなります。また、植木屋たちは新たな園芸品を求めてしばしば深山にも足をのばし、園芸以外にも多くの学術的知見をもたらしました。植木屋が所有していた広大な草木園は出入り自由の場合が多く、博物家はもとより一般の人々にも開放されていました。現在の植物園のような役割を果していたといえるでしょう。代々の将軍もしばしば植木屋を訪れたという記録が残されています。

③ 幅広い記述

現在の動植物書は形態や生態の記述に終始するのが一般的ですが、江戸時代の博物誌は幅広い記述が特色です。たとえば、地方による呼び名の違い (方言) を挙げたり、版木にする、製紙材料になるなどの用途に触れたり、味の善し悪しや薬効を示したり、鳥の捕獲法や飼育法、草木の栽培法などを述べたりします。また、『万葉集』や『枕草子』などを引用したり、俳諧や漢詩を取り上げたりすることもありました。さらに、萩や螢の名所、桜や椿の名木、あるいは故事来歴、子供の遊びにも筆が及ぶなど、実に多様です。欧米の博物学では主観や情緒を切り捨てて、生きもの自体の記述に徹する方向に進みましたが、それとは逆に、江戸の博物誌では常に人間の目を通して自然を眺め、むしろ時とともにその傾向が強まったように思われます。

④ 担い手の拡がり

室町時代までは、動植物に関して筆をとったのは主として医師や本草家 (薬学者) でした。一方、江戸時代の博物誌を担ったのはひと握りの専門家ではなく、大名や公家、武家、医師、文人、絵師、商家、職人、植木屋、農民、僧侶、神官‥‥とさまざまな人々でした。また、江戸時代の博物学界では、大名、武家、薬商などが席を同じくして論議するような、身分を超えた交流の場もありました。

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