父は医者。藩校明倫館で学ぶ。長崎での医学修行をへて、明治元(1868)年藩留学生としてドイツ留学。6年外務省入省。外務省1等書記官をへて翌年駐独公使。のち駐オーストリア、オランダ各公使を兼任。19年第1次伊藤内閣の外務次官。以後第1次山県内閣、第1次松方各内閣外相を歴任。27年駐英公使として陸奥宗光外相と条約改正に尽力、日英通商航海条約改正に成功。また第2次山県内閣外相として北清事変に対処。以後枢密顧問官、駐米大使をつとめる。