解説
化学者。父は広島藩士。明治11(1878)年工部大学校に入学。在学中から同校の教授だったE. Divers(1837~1912)と共同執筆の論文を“Chemical News”に投稿するなどの秀才であった。卒業後、大蔵省印刷局を経て海軍兵器製造所(後の海軍造兵廠)に入所し、火薬の研究に従事。氏の開発した下瀬火薬が実用化に成功し、26年に海軍で採用となる。31年外遊。翌年、工学博士の学位を受け、海軍下瀬火薬製造所所長となり研究を続けた。日露戦争で下瀬火薬は大きな効果をあげた。41年帝国学士院会員。
関連資料