父は鹿児島藩郷士。明治3(1870)年に山鹿流の兵学師範家園田成章の私塾に入る。5年陸軍に入り、熊本鎮台の兵士となる。7年の佐賀の乱や9年の神風連の乱に出征。10年の西南戦争において鎮台司令官谷干城の命を受け、西郷軍に包囲された熊本城から脱出し、救援政府軍との連絡役を果した。3月4日の田原坂の戦いで戦死。