国文学者、詩人、歌人。父は静岡藩士。嘉永6(1853)年駿府城代与力見習として出仕。松木琴園の門弟となり、また、戸塚積斎から漢学を学ぶ。明治4(1871)年廃藩置県により愛知県に仕官。6年に教部省、12年に文部省、23年には東京女子師範学校、翌年第一高等中学校に奉職。30年に高崎正風の推薦で御歌所寄人となる。また、35年には唱歌選定委員嘱託も受ける。和歌や古典の注釈書を多く執筆している。没した日を1月29日とする説もある。
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