助産婦。父は幕臣。40歳で夫と死別。明治17(1884)年に東京府の産婆免許状、さらに内務省の免許を取得。以後、約30年にわたり東京府産婆会の副会長や幹事を務め、「育たぬ早産児を育てる器機」を発明するなどの功績があった。