品川の素封家鳥山又七の子で、平林家の当主であった伯父の養子となる。嘉永4(1851)年、家督を相続。維新後は、区総代、東京府会議員をつとめる。明治25(1892)年には、衆議院議員に当選。政治家として活躍する一方、資財を投げ打って地元の発展にも尽力した。その功により、33年藍綬褒章を授けられている。