父重武は裁判官、兄勝比古は海軍少将。攻玉社を経て明治22(1889)年海軍兵学校卒業。30年ロシア留学に抜擢され、同国駐在武官としてドイツ・フランス・イギリスを視察。33年少佐。日露戦争には戦艦「朝日」の水雷長として出征。37年3月27日、第2回旅順港閉塞戦で「福井丸」の指揮官となり、行方不明の部下を捜索中にボート上で被弾、戦死した。死後中佐となり、軍神として国民的英雄となった。