父が石屋の養子となり、広田姓を名乗る。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、外務省に入る。大正12(1923)年欧米局長。その後、オランダ公使、ソ連大使等を歴任し、昭和8(1933)年斎藤内閣に内田外相の後任として入閣。岡田内閣では留任。11年3月、2・26事件後の組閣で首相に就任するが、翌年1月には総辞職した。同年貴族院議員となる。第1次近衛内閣で外相に就任。戦後、A級戦犯となり極東国際軍事裁判で文官としてはただ一人死刑となった。