儒学者、宮内官僚。父は熊本藩士。藩校時習館で横井小楠に師事。明治3(1870)年藩知事細川護久の侍読となる。翌年宮内省へ出仕、明治天皇の侍講となる。10年宮内省に天皇側近としての侍補職設置を実現。12年藩閥政治を批判し天皇親政運動を展開するが失敗、侍補職廃止。14年1等侍講。19年宮中顧問官。21年から枢密顧問官。「教学大旨」の起草、「幼学綱要」の編纂等にたずさわり、教育勅語の起草にあたった。
元田永孚関係文書