父は黒田藩足軽。明治25(1892)年帝国大学法科大学卒業。外務省に入り、釜山、上海、仁川、ロンドン、韓国に在勤。34年政務局長。小村寿太郎外相のもとで、日英同盟、日露交渉、対露開戦外交に関わる。日露ポーツマス講和会議に随員として出席するなど、小村外交の中心的役割を担った。41年英国大使館参事官。大正2(1913)年中国公使となり、辛亥革命後の中国に赴く。翌年北京で客死。