陸軍士官学校卒業。陸軍大学校在校中に日露戦争に従軍。参謀本部に出仕。憲兵司令官、陸軍大学校校長、教育総監部本部長などを歴任。昭和6(1931)年犬養内閣の陸相に就任、斎藤内閣でも留任した。国体観念や精神主義を説き、皇道派の中心人物として統制派と対立。8年陸軍大将。2.26事件後予備役に編入。第1次近衛内閣、平沼内閣の文相を務める。戦後A級戦犯として終身刑の判決を受けるが、29年仮釈放された。