哲学者。明治13(1880)年東京大学哲学科卒業。15年東大助教授。同年共著『新体詩抄』(1882)を刊行。新体詩運動の先駆者となる。17年ドイツ留学。23年帰国後、教授に任ぜられ、大正12(1923)年に退職するまでドイツ観念論哲学を講じる。また、国家主義の立場からキリスト教を排撃、国民道徳を主張し、晩年は日本の儒教研究に力を注いだ。
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