小栗 おぐり 忠順 ただまさ

生没年
文政10年 〜 慶応4年閏4月6日
1827 〜 1868年5月27日)
出身地
東京都
職業・身分
その他
別称
又一(またいち)、豊後介(ぶんごのすけ)、上野介(こうずけのすけ)

解説

幕臣。父は新潟奉行小栗忠高。安政6(1859)年目付となり、翌万延元(1860)年日米修好通商条約批准書交換使節の一員として渡米した。帰国後は勘定奉行、軍艦奉行等を務め、横須賀製鉄所建設、関税率改訂交渉、軍制改革などの任にあたり、動乱期の困難な幕府財政を支えた。戊辰戦争に際し強硬な抗戦論を主張して罷免され、所領地の上州群馬郡権田村に隠棲したが、新政府軍により捕縛、処刑された。

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小栗 おぐり 忠順 ただまさ

小栗忠順の肖像
  • 小栗忠順の肖像1枚目
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