斎藤 さいとう 隆夫 たかお

生没年
明治3年8月18日 〜 昭和24年10月7日
1870年9月13日 〜 1949年10月7日)
出身地
兵庫県
職業・身分
政治家

解説

東京専門学校卒業。明治31(1898)年弁護士を開業。34年米国イェール大学に留学。大正元(1912)年衆議院議員に当選、以後当選13回を数えた。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属。昭和11(1936)年2.26事件後の第69議会で「粛軍演説」を行い、軍部の政治介入を厳しく批判した。15年の第75議会では、事変処理を糾弾し議会から除名されたが(反軍演説問題)、17年の翼賛選挙で非推薦で当選した。戦後、日本進歩党結成に参加。第1次吉田内閣、片山内閣で国務相となる。

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斎藤 さいとう 隆夫 たかお

斎藤隆夫の肖像
  • 斎藤隆夫の肖像1枚目
  • 斎藤隆夫の肖像2枚目
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