幕末の志士。父は福井藩医。大坂の緒方洪庵の適塾で医学を修得し、嘉永5(1852)年帰国。安政元(1854)年江戸に遊学し、藤田東湖、西郷隆盛らとも交友した。帰国後、書院番・藩校明道館学監同様心得などに取り立てられ、横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となった。安政4(1857)年江戸に赴いて藩主松平慶永に仕え、14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走したが、井伊直弼の大老就任により挫折。安政の大獄により江戸で斬首された。