明治45(1912)年東京帝国大学独法科卒。弁護士となり、日本労働総同盟、日本農民組合などの法律顧問を務める一方、大正15(1926)年社会民衆党の結成に参加し書記長に就任。昭和5(1930)年衆議院議員に当選。7年社会大衆党中央執行委員となるが、15年斎藤隆夫の反軍演説をめぐり除名。20(1945)年社会党結党に参加し、翌年委員長、22年初の社会党首班内閣を組織したが8カ月で総辞職。35年民主社会党結成時に社会党を脱党、民社党の最高顧問となった。