解説
日本共産党の指導者。小学校の代用教員、郡役所書記を経て、大正9(1920)年日本大学専門部法律科を卒業後、弁護士となる。11年日本共産党の結成に参画し、中央委員に就任。12年第1次共産党事件で検挙される。昭和3(1928)年第1回普通選挙に立候補したが落選。直後に治安維持法違反容疑で逮捕され、以後、20年に釈放されるまで18年間獄中生活を送った。出獄後は、日本共産党中央委員会書記長に選出され、21年衆議院議員に当選する。25年GHQにより公職追放。以後、非合法活動に入り、亡命先の中国で客死した。
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