父は福井藩士。海軍大学校を卒業し、海軍省人事局長、艦政局長、艦政本部長、海軍次官を経て、大正13(1924)年海軍大将、連合艦隊司令長官となる。昭和2(1927)年田中義一内閣で海相に就任するが、4年大臣を辞任し軍事参議官。5年ロンドン海軍軍縮会議の際、日本国内の対立の調停役として手腕を発揮した。7年斎藤内閣で海相に就任。9年首相兼拓務相に就任。11年2・26事件で青年将校に襲われるが、九死に一生を得る。重臣として終戦工作に尽力。娘婿は戦後の政治家迫水久常。