生家は真宗の寺院。幼時から父兄の影響を受け、尊王攘夷運動に加わる。初婚の夫とは死別、水戸藩浪士と再婚したが、のち離婚した。その後朝鮮に渡り、光州に実業学校を設立。明治33(1900)年北清事変がおこると皇軍慰問使に加わり、北京、天津を歴訪。34年将兵慰問、遺家族援護を目的とする軍事援護団体・愛国婦人会を結成。全国を遊説し、会員の拡大に努めた。