解説
父は医師。もと原田姓であったが、後に芳川と改姓した。文久2(1862)年以降、長崎で医学・英学を学ぶ中で、伊藤博文と知り合う。明治3(1870)年に伊藤の推挙で大蔵省に出仕。翌年にかけて伊藤に随行して渡米し、貨幣・金融制度について調査した。帰国後、紙幣頭・工部大書記官・外務少輔などを経て、15年7月東京府知事となり、市区改正や築港に尽力した。その後内務次官を経て23年5月第1次山県内閣に文相として入閣、教育勅語の制定に関与した。のち司法相、内相、逓信相を務める。また、33年から貴族院議員、43年から枢密顧問官、45年から枢密院副議長を歴任。伯爵。
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