医家・近藤玄泉の次男に生まれ、大学南校に学ぶ。岩崎弥太郎に出会ったのをきっかけに、三川商会(後の三菱商会)に入社。その後、登用され、海運事業の合理化に尽力。明治28(1895)年日本郵船会社社長に就任し、晩年までその職にあった。在任中、欧州・北米・豪州の3大航路の開設、日清・日露戦争および第一次大戦時の軍事物資輸送への貢献、海外航路の拡大など、同社の発展に寄与した。大正7(1918)年貴族院議員。男爵。