日本画家。師につかず菊池容斎や谷文晁の絵を独学で学び、人力車の蒔絵や輸出向け陶器の絵付けをする。明治10年代後半より単行本や新聞の挿絵を手掛け、『絵入朝野新聞』等で活躍した。明治17(1884)年にフェノロサを中心に結成された「鑑画会」に参加し、以降、展覧会や万国博覧会に積極的に出品するようになる。24年日本青年絵画協会に創立メンバーとして参加した。代表作は「美人花競」「月耕随筆」等。
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