解説
五摂家筆頭の家柄で、父は従一位近衛忠房。明治18(1885)年から23年まで渡欧し、ボン、ライプチヒ両大学に学ぶ。帰国後、貴族院公爵議員。のち同議長をつとめる。藩閥政治に批判的で、26年民党各派提出の条約励行建議案に同調、伊藤博文に意見書を寄せ、対外硬派の運動を支持した。その後、東亜の保全と改善を唱導して東亜同文書院を設立。東亜同文会、また国民同盟会、対露同志会を通じて国権的政治運動を展開。28年から学習院長となる。36年枢密顧問官を兼任。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「あの人の直筆」より