解説
父は水沢藩士。明治12(1879)年海軍兵学校卒業。17年アメリカ留学兼駐米公使館付武官。21年に帰国後、海軍参謀本部員、秋津洲、厳島各艦長を経て、日露戦争当時は海軍次官。第1次西園寺内閣海相、以来第1次山本内閣まで8年間海相をつとめ、海軍の拡充をはかる。大正元(1912)年海軍大将。8年第4代朝鮮総督に就任。昭和2(1927)年ジュネーブ軍縮会議全権委員、枢密顧問官。7年5・15事件のあと“挙国一致”内閣の首相となる。9年帝人事件により総辞職後、内大臣となるが、2・26事件で暗殺される。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「あの人の直筆」より