写真の中の明治・大正 国立国会図書館所蔵写真帳から

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コラム<関西>

1 清水寺

清水寺の写真
清水寺 『京都名所帖』より

京都東山の名所である清水寺は、標高約240mの音羽山(清水山)を背に、仁王門・三重塔・本堂・奥の院などが並ぶ寺院である。『扶桑略記』所引の「縁起」や『清水寺縁起』に、坂上田村麻呂が清水滝下に寺を建立したことがみえるが、正確な創建年は不明である。平安時代から興福寺の末寺で法相宗の寺院であった。藤原実資の日記『小右記』や古典作品『枕草子』などには、当時の貴族がしばしば清水寺を参詣したことが記されており、当時から観音信仰の地として知られていた。現在でも観音霊場の札所であり、1994年に「古都京都の文化財」として比叡山延暦寺などとともに世界文化遺産に指定された。

清水の舞台

清水寺のイメージは、今も昔もその本堂と舞台であろう。音羽山の急崖に建っているため、本堂と舞台が一体となっている。舞台は舞台造り(懸造り)という技法。この技法の起源は明らかでないが、水の上、崖の上などの傾斜地に建物を張り出して作る方法を指す「懸造る」という語が13世紀頃には使われていたようだ。

今日残る本堂は、寛永10年(1633)に将軍徳川家光の援助により再建されたもので、国宝。本堂の高さは約18m、舞台の高さは約13m。舞台床には木曽・天竜産の檜板が張られ、まさに「檜舞台」なのである。

清水の舞台の存在が最初に知られるのは、12世紀に成立した『成通卿口伝日記』にみえる公卿藤原成通の逸話である。蹴鞠(けまり)の上手で「鞠神」と呼ばれた成通は、舞台の高欄を鞠を蹴りながら往復したという。また、『義経記』では、弁慶と義経が清水の舞台で戦ったことがみえ、敗れた弁慶は義経の家来となった。そのほか、江戸時代初期に書かれた屏風「野外遊楽図(清水寺遊楽図)」には舞台からの眺めを楽しむ人びとが描かれている。歌舞伎狂言の清玄・桜姫物では清水を模した舞台から飛び降りるシーンが注目された。このように、いつの時代においても清水の舞台はエピソードを生み出す舞台であった。

幕末・明治の受難と復興

長く信仰の場として隆盛をきわめた清水寺にも受難の時代がやってきた。

清水寺の本坊成就院の月照は尊皇攘夷派の僧として知られたが、安政の大獄(1858)に際し、西郷隆盛とともに錦江湾に入水した。月照の弟信海らも投獄され、清水寺は中心的人物を失った。さらに、明治政府による神仏分離令、その後の廃仏毀釈運動により、本山興福寺は荒廃し、また、二度の社寺領上地令により清水寺の寺領は減少した。東京遷都による皇室や公家など有力庇護者の転出に伴う財政収入の減少もあり、清水寺は苦境に追い込まれていった。

復興の契機は、明治8年(1875)に園部忍慶が清水寺の貫主に就任したことであろう。忍慶らの努力と多くの信者の支援の結果、廃仏毀釈で荒廃した古社寺の修繕がなされていった。

明治政府は、22年(1889)京都市成立に伴い、琵琶湖疏水事業など殖産興業政策を進め、28年(1895)には、平安遷都千百年紀念祭と第四回内国勧業博覧会を実施、平安神宮帝国京都博物館が創建・建設された。そして、30年(1897)古寺社保存法が制定され、清水寺本堂は特別保護建造物(国宝)に指定された。これにより、本堂と舞台の大修理が行われ、35年(1902)6月、本堂修理の完成に伴う落慶法要が営まれた。

修学旅行の舞台

明治35年(1902)6月刊の『日本全国巡遊学生遠足修学旅行案内』には、「京師中最モ霊地ト称スル古蹟ハ東山中音羽清水寺ヲ以テ冠トス」とあり、舞台からは河内の金剛山、淡路島等の諸山がみえ、京都市街を足下に臨む「実ニ絶勝ノ地」と紹介されている。

実際にこの年10月に清水寺を修学旅行で訪れた三重県立工業学校の教官と生徒約65名の記録には、「その眺望は曠然として京洛の千門万戸を脚下に集め南は谿然として遠淀川河領の平野を見渡し......」と述べられている(『京都修学旅行記. 明治35年10月』)。ただし、同年4月に訪れた秋田師範学校の一行約50名は、「清水堂に登れば、修繕中とありてやむなく右手の渓谷に下りぬ」とあり、修理完成直前だったのであろう、舞台からの景色をみることができなかったようである(『第三回修学旅行記』)。

余談であるが、この秋田師範学校の修学旅行はスケールが大きい。『第三回修学旅行記』によれば、4月18日秋田土崎港を出航し、23日富山伏木港に上陸、陸路金沢兼六園などを見学し、福井敦賀から琵琶湖に抜ける。石山寺三井寺などを見学、京都に入り銀閣寺清水寺三十三間堂などを見学の後、神戸に向かい須磨寺舞子浜、大阪では大阪城大阪造幣局などを、奈良に入って法隆寺などをみる。奈良では同郷で大阪朝日新聞主筆の内藤湖南が仕事を休んで一行を出迎えている。その後伊勢神宮へ、さらに名古屋、鎌倉を経て東京、日光、平泉を回り、5月15日に帰校。新幹線もないこの時代に一ヶ月で秋田から神戸まで周遊するのだからすごい。詳細はこの旅行記を読んでほしい。

舞台からの景色

さまざまな歴史をくぐりぬけてきた清水寺。その舞台からの景色をこれまで数えきれないほど多くの人が眺めてきたことであろう。そして今日も同じ場所から悠久の景色を見下ろすことができる。

引用・参考文献