(大正2年若狭丸) 『南米日本人写真帖』 永田稠著 日本力行会 1921
若狭丸までの移民船は人を詰め込むだけ詰め込んでおり、風呂も便所も台所も甲板に作ってあった。入港1週間前になると、検査を受けるためにこれを撤去し、その代わりに乗客が甲板に寝たという(「移住四十年 邦人社会の生い立ちを語る座談会」『時代』1948.6 p. 60)