「上野景範布哇国渡海日記」12月10日、12月11日、外務事務全「ハルリス」ト約定之条、覚 <上野景範関係文書36>
上野景範布哇国渡海日記(抜粋)
同十日 晴 火 在ホノルル
同十一日
朝十字フープル同車当外国局江至り英米之公使立会全権宰臣ハルリース氏并に会計宰臣スミッス氏江会して昨日受取たる返書之内不満足之廉等委く論破し又当嶋江残り度日本人共之取扱向等書面にて具に決定し予此に調印す 米英之両公使證人として加判す 二字退局三字此節帰朝之日本人取集めの命を奉せしパークス氏来り直に去る 四字米公使其他男女二十騎遠乗して
マノアト云る地江至り夫より当政府ゴーフノル之園囿なるワケゲの別荘に至り酒肉之饗有り 今夜月清澄一列家外之芝上踞坐し男女混同して雑談嘯謡或は跳舞して数時を費し九字帰路に趣き馬上一節高兮一節低幾度敲鞍月中帰の句を高吟し或は笑ひ或は唄ひ騎を並べ互に向相応して頗る逸興あり 日本人儀兵衛と云る者誤ありて獄中に有りしを談判之席ハルリース氏に談し出牢せしめ今夜予等の旅館江送来る
十二月
同十一日 晴 火 在ホノルル
〃十二日
朝フープル氏来る 夕四字マウエ島江開帆の船あり 依て当政府にて命したるパークス氏と共に帰朝願之人民取調之為冨三郎をマウエ島江遺す
冨三郎江相渡候書の写
外務事務全ハルリスと約定之條
一 今般百五十人之内病人諸職人其外今日之職業に難堪者共は四十人帰国可為
一 当島江相残り候者共年期相済次第ハワイ政府之入費を以て送届候事
一 若期限に至病気歟又は余の故障にて乗船難相成体之者は看病人相附相残置ハワイ政府より手当いたし全快次第同政府之入費を以て送帰し候事
於ハワイ島ホノルル
日本明治二巳年十二月十日 日本使節
西暦千八百七十年第一月十一日
本文之趣米利堅ミニストル英吉利コンシュル證人と成り両名調印之上證書取置候事
外に冨三郎江相渡候覚書之写し
覚
一 来る未五月中にて傭夫年季相済候間右期限相済候上は直にホノルル政府江申出帰朝可致候 若其節に至り相残り候者共は日本の人別相除候事 凡右は此節外国事務全権ハルリス江応接之上取極候事
一 使役方又は何に而も主人之取扱振不充分歟又は不適当之儀等有之候節は速に其段書簡を以て冨三郎江申遣政府江可訴出事
一 以后一ヶ月毎に各所江富三郎巡見可致其節も訴出度事柄は直に可申出候 同人より政府江可及掛合候
右之件々一統之者江申諭方且別紙約定書之趣取調方等都て其方江令委任候間厚く相心得懇に申談所置可致事
明治二巳年十二月十日
日本使節 傭夫頭取 富三郎江