『布哇国風土略記』 小西直治郎編 兌晶堂 1884
約定書草案
布哇国理事官兼移住事務局特派委員「アール、ダブリユーアルウヰン」と横浜より「ホノルル」へ向け航行の汽船に乗込むべき随意渡航人との間に取極めたる約定証書に於て定むること左の如し
第一条 布哇政府は何某随意渡航人として「ホノルル」に赴くことを請求したるを以て同人及ひ其妻誰並に其子二人誰々を横浜より「ホノルル」迄費用を要せず下等船室に乗込ましむべし而して航海中は通常の食物を給与すべし
第二条 布哇政府は何某「ホノルル」に到着の上三ヶ年間農夫の業に就くことを得せしむべし且又同人妻誰の望に依りては何年間同様の業に就くことを得せしむべし又布哇政府は右の職業に就くことを得るまて右何某其妻及ひ其子二人に健康を保ち応分の快楽を与ふべき相当の宿所を付与し右何某には一ヶ月六弗其妻誰には一ヶ月四弗同しく其子には各々一ヶ月幾弗宛食料とを給与す可し而して布哇政府は右何某及ひ前顕の家族に一
第三条 布哇政府は第二条に掲くる食料及宿所と共に右何某には一ヶ月九弗其妻誰には一ヶ月六弗宛の給料を布哇国若くは合衆国の金貨若くは銀貨にて払渡すへし但し右何某及其家族所用の「フランケツト」並に夜具等は自弁たるへし
第四条 布哇政府は良医をして右何某及ひ其家族を無料にて治療せしむへし
第五条 布哇政府は日数二十六日間耕地に在ては毎日十時間宛砂糖製造塲に在ては毎日十二時間宛就役するを以て此の取極中に定むる農夫一ヶ月の労役とす就役時間は耕地若くは砂糖製造所に赴くへき定規の時より起算し而して該地若くは該製造塲往来の時間は就役時間として計算すへし
第六条 右何某及ひ其家族は「ホノルル」到着の時日より三ヶ年間一切の人頭税を課せらるること莫るへし
第七条 右何某及ひ其妻誰受取る所の給料は其二割五分を在「ホノルル」日本領事に交付すへし然るときは該領事より確なる領収書を渡し右何某の名義を以て右の金員を布哇政府の駅逓局貯金銀行に預くへし而して該銀行へ右金員を引出すことを許さす但し日本領事に於て該金員を引出すへきの必要を承認し右何某の請求書に其旨を奥書したる場合は此の限にあらす
明治何年何月年日即ち千八百八十何年何月何日横浜に於て本書三通に記名調印し双方各々一通を収め他の一通は之を神奈川県令の管理に付す
布哇国理事官兼移住事務局特派委員
何 某 印
随意渡航人
何 某 印
神奈川県令証印
布哇国政府の代理員たる同国内務卿「チヤールス、チーギユリツク」氏と(日本国臣民)某との間に取結ふ追加約定書右日本臣民某は布哇国理事官兼移住事務局特派委員「アールダブリユー、アルウヰン」氏と紀元一千八百八十何年何月何日横浜に於て調印したる契約書に従ひ紀元一千八百八十何年何月何日当国へ到達し且右の契約書に拠り布哇国政府は右何某を農夫として傭役に就かしめたるが故に今爰に右何某は右横浜に於て取換はしたる紀元千八百八十何年何月何日附の契約書の箇条に掲けたる通り右職業着手の翌日より算し満三ヶ年の間、、、、、島に於て、、、、の為め凡そ国法に背かさる至当の仕事を実体に相勤可申依て一札如件
紀元千八百八十何年何月何日横浜に於て取結ひたる右の契約書中の箇條は今又此追加約定書を取換ふ双方に於て堅く相守るへき者也
紀元一千八百八十何年何月何日
ホノルル府に於て記名調印
内務卿兼移住民事務局総裁
、、、、、
何某