内務官僚のブラジル視察報告

Relatório sobre a inspeção feita pelo Ministério do Interior no Brasil

Inspection report on Brazil by a government officer of the Home Ministry

内務省社会局書記官 富田愛次郎による1924年(大正13)3月から10月までの内務省として初のブラジル視察報告。報告のなかで富田は、ドイツ人植民地をモデルとし、それとの比較で日本人植民地の現状を批判的に見ている。報告書の結論としては、1 ブラジルが移民の適地であること、2 ブラジルへの移民政策の確立、3 土地投資の必要性、4 移民事業を公益団体に担わせること、5 移民船の衛生状態の改良、を提言している。

 

伯刺西爾移民ニ就テ

南米に出発を命ぜられ取敢へず伯刺西爾移民に就て復命書及提出候也

  大正十三年十一月十五日

社会局書記官 富田愛次郎

内務大臣 若槻礼次郎殿

伯刺西爾移民ニ就テ 

 第一章 緒言

 南米に出張を命ぜられ去る三月二十六日横浜を発し紐育を経て四月二十四日リオ、デ、ジャネーロ(Rio de Janeiro)に着[。]此間二十九日を費したり[。]リオ市に滞在すること約二週日[、]当時伯国議会開会中にして伯国医学協会(Academia National de Medicina)は議会に提案中の日本人制限案に対する賛成決議を為し[、]日本移民問題の論議盛なる秋なりしを以て[、]其の帰趨を知らんとしリオ市に止まりしも[、]議会に問題とならざるやの情勢なりしを以て[、]移民収容所を見[、]当局に移民に関する意見を聴きしのみにして聖市に去れり[。]

 蓋し聖市は聖州の首府にして[、]聖州は我移民の大部分を包容し我移民問題研究地として重要なるのみならず[、]聖州は伯国に於ける政治上経済上最も重要なる位置を占む聖市を中心とし聖州を視察すること[、]五月七日より六月二十五日に及へり[。]

 此の視察を三回とし第一回は海外興業株式会社の経営せるイクアツペ(Iguape)植民地を視たり[。]同植民地は我国唯一の資本的植民地なり[。]第二回はモヂアナ(Mogyana)線及アラクアラ(Araquara)線プアウリスタ(Paulista)線附近を視察したり[。]此の地方は珈琲及米の栽培地にして日本人か比較的古く植民したるの地なり[。]第三回はノルエステ(Noroeste)及ソロカバナ(Sorocavana)線の一部を視たり[。]此の沿線一帯は近時日本人の発展しつつある地方なるのみならず[、]資源に於ても最も有望視せらるるの土地なりとす[。]

 聖州の内地視察は交通不便にして鉄道道路等完備せず[、]視察に最も困難を感ずる所なりとす[。]内地視察は内地一般産業殊に農業の状況耕地(Fazenda)に於ける労働者(Colono)生活状況借地及独立農の状況外国移民の生活状況の視察を為せり[。]

 聖市滞在中恰もサントス(Santos)に日本移民舩の来着に会せしかは之を迎て其の状況を視[、]次で聖市の移民収容所、農業裁判所を訪ひ[、]聖市に於ける伯、伊等の資本に成れる工場、外国移民会社等をも視たり、一応聖州を巡歴して伯国南三州を概観せんとし六月二十五日聖市を発してパラナ(Parana)州に向ふ[。]聖市より首都クママチバ(Curityba)に至り[、]パラナ松(Parana)を材料とせる燐寸工場及主産物たるマテ(Mate)工場等を視[、]パラナグア(Paranagua)港に出て[、]更に此処より汽船によりサンタ、カタリナ(St Catarina)州の首府フロリアノポリス(Florianopolis)に到る[。]

 此の州にては独逸人の植民地の状況を視んとし[、]ブルメナウ(Blumenau)及ハンザ(Hansa)を視察し[、]フロリアノポリスより海路伯国最南州リオ、グランデ、ド、スール(Rio Grande do Sul)に入り[、]リオ、グランデ(Rio Grande)及ペラタス(Pelotas)に着す[。]ペラタスにてはPevro Cesorio氏の経営せる牧場、大米作地、乾肉工場、精米工場を視、陸路サンタ、マリヤ(Santa Maria)よりリベラメント(Livramento)に出て伯国の旅行を終れり、伯国に来りてより二ヶ月有半なり、伯国の概況、本邦移民の状態及所感は次章に述ぶる所あるべし[。]

 七月十一日リベラ(Libeira)より広大なる牧場地と貧弱なる農家を望見し[、]首府モンテビデオ(Montevideo)に着せり、モ市の詳細は之を略すべし、止まること三日、七月十三日モ市よりフェリーにてラ、プラタ河(La Plata)を横きり[、]ブエノス、アイレス市(Buenos Aires)に至り、滞在中をプラタ市(La Plata)のLa Blanca凍肉冷肉工場、移民収容所(Ostansia San Juan)等を視[、]又移民当局と会して各国移民の状況を聴き[、]本邦在留民の生活一般を視たり[。]殊に予がビ市に在るや伊太利Humberto皇太子殿下を拝するを得たるは望外の幸とする所なり[。]

 八月十日亜爾然丁より智利に出発せり、ただ見る茫々たる牧場は亜国の資源の豊富と其の大なる将来を思はしむ、亜国メンドサ(Mendoza)よりは所謂アンデス越へ(Andes)にしてブエノス、アイレス、パシヒク鉄道(Buenos Aires and Pacific Railway)に依り一万尺の高峰も易々として智利国ロス、アンデス(Los Andes)を過ぎ[、]首府サンチヤゴ(Santiago)に出づるを得るなり[。]

 智利南方は独逸植民地のある所と聞きしを以て八月十六日サ市を発して独逸植民地の中心なるオソルノプエルト、バーラス、プエルト、モント、バルデビヤ(Osorno Puerto Varas, Puerto Montt, Valdivia)の都市を訪へり[。]何れも独逸の文化にして独逸の学校、病院、教会、倶楽部等を有し[、]当初移住してより約六十年にして其の発展は独逸国民の耐忍力と其の組織力の大なるを感知せずんはあらず[。]殊にバルデビヤ市にある工場約四十中、三十は独逸系人の手に在りと独逸領事は語れり[。]

 八月三十日ヴアルパレイサ(Valpareisa)より秘露ペルーに向へり[。]秘露は邦人の発展地なるを以て此れが生活状況を視るを主たる目的としたり[。]

 九月十三日カジアオ(Callao)を発し十月二十六日帰朝せり[。]

 以上は今回視察の経路の一般なり、広大なる南米を僅か半歳にて視察するの不能なるは勿論にして[、]真に一過客に過きず[。]加之伯国に葡語にして其の他の諸邦は西語なるが故に西、葡の一語を解せざる予には殆ど視察の不能を感ぜしめたり、茲に報告する所、誤謬多かるべきも[、]そは寛恕を乞はざるべからず[。]此処には予か視察に比較的長時日を費したる伯国に就てのみ述ぶる所あらんとす[。]

  第二章 伯国に於ける人種問題

            排日問題の経過と我移民対策如何

 伯国は領域尨大にして之が面積及正確なる人口数を得ること困難なりと雖も、面積は八百五十一万千百八十九平方基米、人口三千六十三万五千六百五人、一平方基米に付き三人六分なりとす(一九二四年伯国農務省発行 Resumo de Varias Estatisticas Economico-Financeiras による)[。]

  伯国の歴史を回顧するに西暦一五〇〇年葡国の航海家「ペテロ、アルヴヱアレス・カブラル」より発見せられて以来、一五〇〇年より一八二二年迄三百二十二年間は実に葡国の植民統治時代なり、一八二二年より一八八九年迄六十七年間は所謂帝政時代にして「ドン、ペトロ」がサンパウロのイピランガ川辺に立ちて『独立か然らざれは死あるのみ』と叫びて伯国の独立を宣し、伯国の帝位に即きてより[、]第二世の「ペテロ第二世」にて終り[、]其の間六十七年なり、帝政亡びて一八八九年米国憲法を範とし共和制を布き以て今日に至れり。

 即ち伯国に於ては葡国統治以前に於て極めて文化の発達せざる印甸人あり、爾来白人種の移住したるもの殆んど各国民に亙ると雖も[、]起源最も古く関係密なるは葡萄牙人にして[、]之に亜ぐものは伊太利人なりとす、伊太利系人の総数は之を知るに由なしと雖も[、]其の大多数は聖州に居住し[、]其の文化に貢献したるところ素より些少にはあらず、之に亜ぐものを独逸人とす[。]

 殊に南諸州に其の地歩を占め一時は独逸禍を叫ばれしことあるも[、]最早今日にては伯国化して其の声を聞かず、而して伯国に於ては一五八三年より一八六〇年まて前後二百七十七年に亙りて阿弗利加人を輸入し[、]現在に於ては主として東北部に居住せり、而して葡萄牙人の移植してより印甸人と雑婚し尓来各種混血したりと雖も[、]之を大別するときは印甸人、白人種、黒人種、雑人種となすことを得べし[。]

  斯く伯国に於ては印、白及黒白互に相混同し[、]之を北米に見るが如き[、]黒白人種問題人種無差別論の起りたることなかりき[。]

  之を文化の上より見るも「ラチン」の文化に「アンクロサクソン」「チウトン」の文化を招来し伯国の資源を開発するときは[、]其の将来の多望なるや多言を要せざる所なり、然るに去る大正十二年十月米国資本家が米国の黒人を入れて植民地を作りマトグロッソ州に於て広大なる土地を買はんとするの報告あるやミナス州選出代議士「フデイス、レース」(Fidelis Reis)は黄黒人種移民禁止及制限問題を提起したるは[、]我邦移民が漸く伯国に於て其の萌芽を出さんとするの今日寔に遺憾とせざるを得ず、同法案第五条に曰く

  「黒色人種の入伯を禁止黄色人種は国内に於ける其の国人数の三分に相当する人員の入国を許す」

  即ち黒人の入国を絶対に禁止し[、]黄色は之を在伯人数の百分の三に制限せんとするものにして[、]黄色人は日本人の標目としたるや論なき所なりとす、伯国が従来採り来りたる自由入国人種平等の主義に一大変転を来たしたるの提案なりとす[。]

  「フ氏」は提案理由として黒色人種植民の悪結果を論じ[、]黄色人種は世界諸国の排斥する如く反対なりとし[、]人種擁護上より之が必要を痛論せり[。]

  同案の議会に提出せられ農務委員会の審議に附せらるるや[、]聖州選出下院議員「フアリヤ」は修正案即ち原案百分の三を百分の五に拡張したるものを提出せり、「フアリア」の意見の一節を記せば[、]「最近聖州は欧洲移民の不足に依り耕地住民の減ずるを以て絶望的に日本移民の移入を契約し[、]依て日本人は富裕なる州内多数の農場に散在するに至れり[。]

 其の母国と遠距離なる為[、]高価なる移民たる日本人は遂に聖州の耕主に気に入られざりしなり、其の言語風習不可解にして体格容貌余り立派にあらず[、]又奇異なる道徳律を有し而して契約を履行せざるは其の特性なりとす、一般に日本移民は支払を受くるときは夜間一団となりて耕地より逃亡す、彼等は適当に其の住宅を整理せず[、]劣悪なる寝具に包まり板間に眠り[、]鶏豚を飼養せんともせず[、]総ての農民の理想たる乳牛一頭を所有せんとも計らず[、]入浴は男女入り混りて湯を懸け合ひ[、]家屋は不潔にして全く浅間しき状態なりとす[、]

 而して耕主は直に之等移民に疑を懐くに至りぬ、彼等の稼金は土地購入に充当せられ[、]一定の土地に特別の部落をなし生活するを見たる時に於て[、]何故に彼等は其の周囲に果樹を植へ住宅を整へざるや[、]家畜の飼養を為さざるやは判明したり[。]珈琲耕地に於ける日本人の仕事は珈琲樹のある土地の掃除も其の実の採集にも優等なる事を示せり[。]併しながら其の耕地に止まることの極めて一時的なることは政府の活眼を開かしむるに至り[、]斯くて聖州に於て必要とする所は珈琲農業上の労力にして土地の開拓植民に非ざるを以て此の移民に就て最早や考慮さるるに至れり[。]蓋し州内は已によく植民され未だ開拓されざる地は将来に対する保存となり居れり[。]植民要素としては吾人と同等なる良人種を択ばざる可からず云々」尚ほ彼は進んで日本移民の非にして言語類似、同一習慣、同一宗教なる伊太利移民を大に歓迎すへきを説述せり[。]

  黄人制限、黒人禁止に関しては賛否の意見各方面に表はれたるが[、]就中移民と密接の関係ある聖州人の注目を惹起し[、]同年十月二十六日聖州上院に於て議員 Dr a.m. Fonbes Gurtior、Dr. Padua Sales等々移民制限反対演説となれり、論旨を総合すれば[、]伯国は十分移民を抱擁し得る広大の土地あるのみならず[、]日本人は勤勉、経済、規律正しく大に伯国の開発に貢献したるのみならず[、]今や日本は震災に大に苦しめられつつあり[。]之を排斥せんとするは人道に反すと謂ふにありて[、]同上院は日本移民の為め熱烈なる弁護を為し同案に反対の決議を為せり[。]

  本案は又伯国各方面の意見を徴されたるか[、]就中最も注意を要するは移民と直接に関係ある各種農会の意見なりとす[。]

  伯国農業連盟(Liga Agricola Brasileira)は「日本農夫は農業労働に落着かず[、]絶対に彼等のみより成り[、]彼等の言語風俗を其の儘移し、集団し、我国家組織中腫物を成す、我国内に外国人植民地を作らしむるは遠き将来に於て危険なり[。]併し乍ら絶対に禁止ずへきに非ず」と。

  伯国農園協会(Sociedade Rural Brasileira)は「国家農業上の重大なる利害及一般の秩序上黒人移民の入園禁止は最も当を得たるものとし又黄色人種に就ては確かに農業者たる日本人の入園率は増加あるも然るべきもの」との意見優勢なり[。]

  聖州農会(Sociedade Paulista de Agricultura)は「其の出所の欧洲人ならざる他の人種の移民流入は将来伯国人種構成上悪化すと云ふに基き[、]我人種型と差異ある人種は移民の大なる流入は避くべし[。]但し其の如何なる国よりするものと雖も[、]吾人を刺激奨励する如き移民の入国は妨くべきものにあらず[。]」

  上述する所によりて有力なる伯国農業団体か黒人の入国を禁止すると同時に黄色人制限にも賛意を表せるを見るべし[。]

  予の伯国リオ市に到着後間もなく伯国にて勢力ある医学協会(Academia National de Madicina)は遂に左の決議を為せり[。]

  「国の至宝は国民に在り[。]其の質の改良は為政者の緊要事なりとす[。]亜細亜人は其の価値如何を問はす[、]伯国とは宗教、言語、風俗、慣習を異にし絶対に同化せざるものなり[。]従つてEugenics又は経済的見地よりするも日本人の伯国に入るの不利益は之を認む[。]其の下院内の農工委員会の改正案に満腔の同意を表する決議す[。]」と同案反対者Carlos Werneckは[、]

 「伯国の国憲は絶対に自由なる故に此の如き制限は国法の精神に反す、又人類の移動を妨害するは人道に反す[。]伯国は其の国籍の如何を問はす平等なるへきなり[。]」と更にProfessor Hensique Ratoは附加して、

 「日本人の科学的事業は優れたるものなり[。]殊に医学の貢献の偉大なる点に於て忘るべからず[。]」と主張せり[。]然るに翌二十六日Comsio de Manha紙上にBruno-Loboの日本移民と題する意見を掲出して曰く[、]

 「伯国移民問題を論ずるは常に日本人に限るなり[。]日本人以外に更に関係する所なし、予は日本人の入国は賛成なり[。]美術科学の如き、日本人は優秀なり、野口氏の如きは大に吾人を啓発せり[。]日本人は人類学上印甸人に似たり、日本人の習慣決して悪しきにあらず[。]死屍を火葬に附する如きは外国にても行はるる慣習なり、故に一概に排斥すへきにあらず[。]戦時日本の行動に敬意を表せしもの今之れを捨つるは甚だ不可なり[。]

 而かも日本人は昨年の震害の不幸も見つつあるの時[、]之を排斥するは人道上看過すべからざることなり[。]米国にて日本人か不都合なりと謂ふも直に取りて伯国にても亦日本人か不都合なりと云ふの理由なし、今仮に伯国人北米に入れしめば如何[、]同一の運命を見るべし[。]

 嘗て前堀内公使が日本人ならずやと問ひし時[、]そは伯国人なりしと謂ふ例もあり、下院の修正者Goãn do Fariaは伯国の偉大なるは土人と葡人との混血人なるか為にして[、]其の後継者は之を尊重すべきものなりとせり[。]同一筆法を以てせば伯人と日本人は近似せり[。]果して然らば日本人は之を入国せしむべく[、]之を禁止すへきにあらず」

と以上の所論多岐なりと雖も[、]之を要約するときは黒人を禁止すべきは衆論の一致する所、黄色人と称するも日本人問題なることは看取するに難からす[。]而して排斥論は日本人の宗教、風俗、慣習を異にし到底同化し能はざる民族なるのみならず[、]農業移民として移動常なく毫も落着かず[、]劣悪なる民族は国民を悪化すと謂ふにあり。反対論は入国禁止又は制限は憲法の精神に反するのみならず[、]伯国は土地広大にして日本移民を収容するに充分にして[、]日本人は農業移民として適当たるのみならず人類学上、日伯人は近似せりと謂ふにあり。

 嘗て人種問題なき平和なる社会に排日問題の萌芽を生せし原因は那辺にありやを考察するに

 其の一は人種的観念之が根底をなすものと謂はざるべからず[。]伯国は「ラチン」民族にして英、米、白、独逸等の資本、文化を輸入しつつも[、]尚私に「ラチン」立国の精神あり[。]随て他の民族を喜はず[。]况んや言語風俗を異にせる亜細亜人をや[。]F. Garcia Calderon著「Latin America in Rise – Progress」は南米に於ける「ラチン」主義を高調し[、]北米禍、独逸禍、最後に日本禍を主張し曰く「日本は土地狭小資源も乏しき国にて人口多く海外膨張は自然の勢なり[。]太平洋岸は日本の渇仰措かざるの土地なり[。]北米の門戸開かれずとすれば[、]勢地を南米に求めざる可からず[。]

 而も日本人は宗教風俗を全然異にし同化せざる国民性にして[、]国家主義の旺盛なる国民なり、而して秘露にも移民を送りつつあれば大に備ふる所なかるべからず」と云ふ排日論なり、最後に「アングロ、サクソン」Anglo-Saxon「チウトン」Teuton民族を排し「ラチン」Latin文化の必要を切言し[、]若し欧洲「ラチン」国か移転せざるべからざる運命に至らば巴里は之をリオ市又はベノスアイレスに移すべしと緒言せるに対し[、]「キアンカレー」は序言に於て、さる事決してなし、然れども南米は仏の文学、美術、資本を採用すべしと謂へり。

 其の二は北米の背景となりとす[。]Pan Americanismは亜米利加は伝統的政策なるのみならず[、]南米は北米の重要なる放資国にして殊に伯国に於ける戦後米国の苦心経営は海運に貿易に各種企業に顕著なるものあり[。]况んや伯国の政界の腐敗と結合して有力なる背景をなすものと考察せざるべからず、

 其の三は新聞紙の宣伝なりとす、伯国は民度低く教育普及せず[、]新聞紙の如き殊に大なる社会力を有す[。]特に近時伯国有力なる新聞紙の排日的傾向は之が与論の指導に重大なる関係あるは看易きの理なりとす、

 其の四は日本人の農業労働者の移動性多きことなり[。]此の点「フアリヤ氏」の意見に見るが如く[、]伊太利移民欠乏の為日本移民を迎へんとするの真意は耕地に於ける農業労働者として使用せんとせしに外ならず[。]然るに日本人は独立性に富み落着かず却つて彼等耕主の期待は充たされず[、]排日として表はるる至れり、若し日本人か農業労働者の地位に甘んじ従順に耕主の頤使に甘んぜば[、]恐らく排日の声を聞くことなかりしやも知るべからず[。]前述三農会の回答は予の不思議とせし所なるも日本移民の現状を仔細に視、その決議の偶然にあらざるを知れり[。]

  予、聖州農務長官「サントス氏」(Dr Gabriel Riberiro dos Santos, Secretario de Agricultur)に面談せし際も[、]

 「我々は如何なる国の移民たるを問はす[、]移民に関して移民の区別をなすことなし[。]唯日本移民は余の聞知する所によれは契約期間中三四ヶ月中途より逃け去る趣にして、そは甚た不可なり」と云へり[。]

  以上は排日の主因なりと目せるが[、]然らば本問題の将来如何、伯国に於ける本問題の将来の観測は軽々に論断を許さざるものあり、蓋し伯国は土地の広大と政局の安定せざること支那の如く個性感情的にして堅実ならざるを以て容易に予見し得ざるのみならず[、]排日案の如きは多く政治上の情勢によりて決せらるる問題なり、人或は憲法の精神と伯国人は聖州上院の決議の如く日本人を好愛するを以て[、]本案が議会を通過すること万これ無かるべしと謂ふも[、]予は寧ろ排日案の通過は近き将来にあらざるやを疑ふ[。]

  日本に同情ありと称せらるる伯国博物館長Dr. Neivaを訪ふ[。]氏の排日問題に関する談話の要旨は「余は日本の当路者に伯国にも排日問題起るべし[。]速に其の計をなすべきを慫慂したり[。]然るに彼等は余りに盲目にして楽観的なりしなり[。]今日は如何なる情態ぞ、議会の排日案は如何、予は恐らく二[、]三年後には排日案は成立すべしと思惟す[。]排日賛成者は議員に選出せられたるのみならず[。]外務大臣Pachecaは親米者なり、聖州大統領たりしWashington Ruisは1922年の教書に「同化することを得ざる国人の入国は望ましきものに非ず」と謂へり[。]而も彼は次期大統領たるやも知れず[。]且つ伯国にて観過すべからざるは新聞紙の勢力なり[。]新聞紙が排日を主張する間、国民全体を動かすに至るべし、新聞紙の背後に米国あるを忘るへからず」と[。]

 日本移民は現在に於ても歓迎せられざるは[、]政府者の数次の声明に見るも伊太利、西班牙、葡萄牙等の移民をこそ欲すれ、日本移民には少しも言及することなきなり、連邦法律は移民の移入補助に関しても欧洲の何れかの港よりする欧洲農業移民家族の輸送費其の他上陸後の費用の支出につき規定し居るに外ならず、盖し日本移民は数に於ても毎年二千を出です[、]移民としては殆んど問題とならず、米国の勢力と新聞紙の排日的論調並に日本移民の耕主利益と両立し得ざる移動により排日案の通過の遠き将来にあらざるを推断せざるべからず[。]

  伯国を以て適当なる移民地として施設経営を為さんとせば[、]現在の不安状態の儘[、]移民を送ることは不可なりとす、人或は曰く排日案の通過は予見すべからず[。]本案通過前[、]出来得るだけ多数の移民を遂るべしと、此の種の論は永久の国策の樹立を考慮せずして一時の窮策なり、弥縫策なり、北米の轍を履み我移民は所謂棄民となるを保すべからず[。]予は将来真に多数の移民を送らんとするには移民の労働保護又は労働条件等に関して伯国と移民協約を締結するを急務とす[。]然れども已に排日問題の萌芽を発したる今日に於て移民協約の如きは解決困難なる問題なるへきを以て新聞紙の利用、資本の投下其の他の方法により排日的傾向の緩和策に力を致さざる可からず[。]若し伯国政府にして遂に協約の意思なしとすれは[、]我移民を入るるか意なきものなり[。]又伯国議会之を承認せざるときは与論は我移民を欲せざるものなり[。]

 

  第三章 伯国に於ける我国移民

  伯国は未だ工業発達するに至らず[。]農業を第一位とし珈琲、玉蜀黍、綿、砂糖、米、豆、マテ烟草、マニジオカ粉、護謨等を主要なる産物とす[。]殊に珈琲は世界総産額の七割乃至八割を産し[、]聖州及ミナス、ジエイラス州を主たる生産地とす、聖州のみにしても珈琲樹八億三千万本を有す[。]綿は伯国の有望なる産業にして産額は米、支、印、埃等に亜く、伯国に於て最も必要とする所は労力と資本なり[。]

 伯国は十九世紀初葉に当り亜弗利加より黒人を輸入したりしが[、]之が廃止を見てより労力の不足を訴ふるに至れり[。]茲に於て政府は未開国土の開拓の為[、]労資の輸入を以て国策とし[、]憲法及民法は内外人の平等と所有権を確保し[、]連邦政府又は聖州政府は時に渡航費の補助及移民到着後の利便の供与等により盛に外国移民の誘惑に力め[、]一八二〇年より一九一九年末に至る百年間に総計三百五十七万七千三百六十五人の移民を見たり、今之を国籍別とすれは[、]

国籍   移民数
伊太利  一、三七八、八三六人
葡萄牙  一、〇二一、二七一
西班牙    五〇一、三八七
独逸      一二七、三二一
仏蘭西    一〇五、二二五
墺多利      七九、三〇五
土耳古      五四、一二〇
瑞西        二九、六六五
日本        二八、二九三
英国        一八、七〇八
瑞典          五、五〇二
白耳義        五、二八九
亜国          四、三八五
和蘭          三、三四〇
北米          二、六二六
ギリシヤ       二、〇二六
ウルガイ       一、五一三
ハンガリー      一、七四七
其の他     一九五、四三三
合計    三、五七七、三六五人


 伯国連邦農工商務省土地殖民局の調査に依れば[、]昨一九二三年中伯国各港に来着したる移民数は八万四千五百四十九名にして[、]内、葡萄牙人の三万一千八百六十六人を最多とし[、]伊太利、西班牙、独逸人之に亜ぐ[。]

  入伯者中多数は聖州の収容する所となりとす[。]

  日本人移民の状況は明治四十一年入伯したるを最初として漸次其の数を増加し[、]大正十一年六月末に於て其の数三万五千三百五十二人を算す[。]前述各国移民数に比すれば未た言ふに足らず[。]大部分は聖州に居住するも[、]ミナス州、パラナ州、マトグロッソ州の一部に散在せり[。]以下各業態により我移民の状況を記せんとす[。]

  日本移民は最初は珈琲園労働にして漸次独立農となるを常径とす「ワシントン、ルイス氏」は一九二二年の教書中に曰く「欧州より新来の移民を三年又は其れ以上の契約を以て耕地に入るることは今日まて為し来りたる事なり[。]今後も斯くすることを継続するを便宜とすべし[。]斯く為すときは我農業に就き真実の実地教育を為す農学校となり[、]此処に於て生徒は自己及家族の生活を維持する為めの所得となり[、]一部を貯蓄して間もなく地主又は商人となる、此の生徒は習慣も法律も知らず伯語を解せず[、]土地及其の能力の実際を知らず、如何なる作物が適当なりや地質上の組織の如何を知らず[、]何時種子を蒔き発芽し成育し植付け、除草し収穫すべきやを知らず[、]太陽の作用、霜害の結果等を毫も知らざる農夫なりとす[。]

  常に到着時は貧しき移民は耕地に於ける契約により最初の艱難なる数年間報酬ある労働の保証を有し[、]住家を供せられ[、]当初の費用に前貸を受け[、]土地及季節を知り土地に働き土地を愛するを学ふ、到る所此の生徒は小地主となりやがて大地主となり行くを見る 耕地は一時的のものなり[、]終局は地主なり[。]然れども今日の耕地は最早や三[、]四十年前の耕地にあらず[。]牢獄の耕地、屠所の耕地は存在せざるなり」と移民発達の順序は「ルイス氏」の謂ふところの如し[。]

     (イ)珈琲園労働
  伯語を解せす、風俗習慣を知らす[、]家族の農業能率も悪しく[、]移民の困難なる時代なりとす、珈琲の除草、珈琲果実の採収及副業を以て主たる労務とし経済は珈琲手入賃、珈琲採取賃、豆、米、玉蜀黍の間作収入、日給、家畜売却代等を以て収入とし、収支とも家族数、熟練、農作物の価格等によりて一定せす[。]

     (ロ)半独立農
  借地、歩合作、新珈琲請負にして借地料及生産物の歩合は一定せず[。]歩合は通常二割乃至五割に至るものにして種子の負担、牛馬、機械の貸与、土地の新旧、交通の便否に依り同しからず[。]

  新珈琲請負にも四年契約と六年契約との別あり[、]前者は耕主が森林伐採及一切の準備を了して請負者に引渡すものにして[、]後者は請負者が之等を凡て負担し請負人は完全に成育したる珈琲樹を引渡す義務あるものとす[。]負担人の収益は四年目よりの珈琲及間作収穫を以て主たるものとす[。]

    (ハ)独立農
  珈琲園に於ける所謂農学校を卒業し独立農の時代に至るときは[、]新珈琲を植付け棉、米、甘蔗等の栽培をなすものにして[、]中には小規模の農産物加工場を有するものあり[。]大正十二年十二月の調査に依れば[、]珈琲園契約労働者数千五百家族[、]土地所有者数二千五百三十九家族にして[、]海外興業株式会社の所有地約一万町歩を除き[、]総面積二万七千「アルケール」我が六万四千八百町歩にして所有珈琲樹四百万本以上に達す[。]

  以上は我が移民の分布及事業一般なり[。]予は親しく日本人及外国人の植民地を視たるか少しく所感を述べんとす[。]耕主は封建時代の大名の如く尨大なる土地を所有し、多くは高層なる邸宅を耕地及聖市に所有し[、]耕地は支配人に放任して顧ず[。]労働者の福利の如き念とせざるか如し[。]将来耕地に於ける労力欠乏するときは労働者の自覚と相俟つて労資間の問題は益々紛糾するに至るべし。

 予旅行中、月影漏るる労働者宅に泊し[、]壮麗なる耕主の邸を望見して感慨無量なるものありき[。]耕地に於ては所定の賃金を支払ふの外、労働者に対して何等の福利的施設の見るべきものなし[。]而して他面、日本移民の生活振りを見るに徒に成功を夢み一攫巨万の富を致して、故山に錦を飾らんとす[。]之れ即ち移動常なく労資間一脈の温情あるなく、利益相反する所にして[、]嘗て日本移民を入れて労力欠乏を補はんとせしもの[、]今は日本移民に期待を置かざるに至れる所以なり、

 「ルイス」氏の謂ひしが如く労働は一時的なり終局は地主なり、然れども転々常なく富をなすに急なる其の心事や察すべしと雖も[、]我移民の欠点として指摘せざる可からず、然るに亜爾然丁二千の邦人は殆どベ市に[、]秘露移民の一万中六千はリマ市に集中せるに[、]聖市には著しき集団を見ず、経済事情の然らしむる所なりとは云へ[、]比較的健全なる発展を示せるものと謂はざるべからず。常に移動して恒心なきが故に其の住宅の如き単に雨露を凌くに過きず[。]欧洲移民の先づ家を整ふると好個の対象をなす[。]

  宗教 宗教は如何にと見るに[、]稀に耕地に教会を有するものあり[。]又は附近小都市に教会ありと雖も[、]宗教言語を異にせる為め日曜の如き何等為すなく[、]遠く故国を離れて孤独にして乾燥無味なる生活を営むもの[、]他に娯楽慰安を求むる道なく[、]或は宗教的欲求あるも如何んともすへからず、遂に酒に親しむに至るを常とす、伯国には国教なし[。]然れども旧教は最も勢力を有す[。]予は可及的基督教の牧師を伯国に送りて其の宗教的要求を満足せしむるの急務なるを信ず[。]

  教育 現在に於ては耕地又は日本人集団地にては[、]多く政府の公認により寺小屋式の小学校を設立し[、]漸次其の数を増加しつつあり[。]公認の場合にては教師及教具は国家より支給するものにして[、]中には伯国人と共学をなすものあり。移民中、小学校を卒へたる有望の子弟にして学資なき者には之を貸与し専門教育又は大学教育を修得せしめ、医師、弁護士、技術者等の人材を養成することは移民の保護発展上最も適当なるものなるべし[。]

  保健 衛生 移民は多く広漠たる処女地を開拓し奥地に入るを常とす、医療普及せざる所に於ては保健衛生の施設は其の最も急とする所なり、現在に於ては移民一家月二[、]三「ミル」の契約にて毎月一回出張検診するものにして臨時往診料は特別に多額を支払はざるべからず、而かも言語充分ならず伯国医師の技能亦必ずしも信頼するに足らざるのみならず[、]遠距離にして急に応し難く[、]其の誠意を疑はしむるものあるを以て[、]邦人医師の普及は望ましきことなるも之れ容易の業にあらず[、]目下邦人の医師にして伯国の免許状を得たるもの二名あるのみ、将来我国医師が伯国政府の免許を得ることは排日的状勢と伯国医師の反対とに依り漸次困難を加ふるものと見ざるべからず、故に前述する如く伯国に於ける子弟を教養して医師を養成するを上策とす[。]

  金融機関 現在に於ては約四万に余る邦人の利用すべき金融機関なし[。]嘗て横浜正金銀行より三十万円を伯国邦人の金融に支出するの内議ありしも[、]之か実行を見ずして了りしを遺憾とす[。]現時に於ては其の当時と移民の財産状態も可良となり近々二十年にして其の努力は土地のみにても[、]海外興業株式会社の所有地を除き[、]六万四千八百余町歩を所有し[、]相当の発展を遂け居るも[、]適当なる金融機関なき為[、]農作物の如きは安価に売り放たざるべからず、偶々銀行より金融の途を得るも土地を抵当とする場合には[、]珈琲の植付ある土地に限り[、]土地価格の四分の一位の貸出を為すに止ま[り、]利子は一割五分乃至二割にして[、]抵当権設定に要する費用は別に之を負担せざる可からず[。]対人信用の場合に於ては保証人を要するは勿論[、]金額少く加ふるに二[、]三ヶ月の短期貸出しにして充分金融の目的を達せざるなり、正金銀行たると其の他の機関たるとを論なく[、]金融機関の設立は伯国邦人発展の生命と言はざるべからず[。]

  娯楽施設 前人未開の地に入りて開拓の業に従事す[。]娯楽慰安なかるべからず[。]適当なる娯楽なき為め[、]飲酒、賭博、富籤等盛に行はるる部落ありて産を失ふ者すら之れなきにあらず、故を以て先づ新聞雑誌閲読の便を与へ[、]殊に故国の風物を写せる活動写真等を展覧せしめ[、]高尚なる趣味と情操を養ひ[、]安住の基礎となすこと肝要なり[。]

  附、イクアッペ(Iguape)植民地に就て

    イクアッペ植民地は明治四十五年聖州政府と東京シンヂゲートは土地無償譲渡、渡航費全部償還[、]其の他の特典を以て植民地設定を契約し[、]伯刺西爾会社之か経営に当りイクアッペに桂殖民地を開き[、]大正三年レヂストロ植民地を開き[、]同九年セツテバラス植民地を設定し[、]海外興業株式会社は大正六年之等植民事業を全部継承したるものなり、大正六年末の現況は植民地面積一万六千百六十二町歩、分割済地区数七百八十五、道路延長百九十基米にして家族数五百二、人口二千五百二十七人なり[。]

 産物は米、玉蜀黍、豆、甘蔗等を主たるものとす、同年の生産額は九十二万八千五百二ミルレイスにして未だ生産額充分ならず[。]農家生活は通常に十五町歩乃至五十町歩を占有し米其の他の農作の外、家禽豚を飼養し牛馬を所有するものあるも其の数少し[、]中には家内工業として小規模の砂糖工場を有する者あり[。]農家の年収は普通七、八コントあるものは上位にして二コント内外を中位とす(一コントは千ミルにして我二百五十円位に当る)[。]

  本植民地に於ては各種の批議あるも之を大観するに[、]交通機関の不備と地形の不適は本植民地不振の原因なりとせざる可からず[。]盖し英国資本に成る南聖州鉄道はヂュキヤに至りて通せず[、]ヂュキヤ、イグアペ間は僅に貧弱なる小形汽船あるのみにして其の輸送力は極めて不完全なりとす[。]故に若し此植民地に新生命を与へんとせば[、]道路、汽船又は汽車何れにしても交通機関の完備は喫緊の事に属す。地形は一般に起伏高低錯綜して丘陵地傾斜交錯す、元来伯国は一般に波状地なれども他の植民地は此の植民地の如く甚しからず[。]土地亦肥沃なりと謂ふべからず[。]地形の如何は選定の当時に慎まさるべからざる所なり[。]

  日本植民地は少数の伯人の外全部日本人なり[。]之れ日本人植民地を設定せし当初の方針の如くなるも[、]多くの植民地は広く各国民を包容するを常とするを以て[、]日本植民地のみは独り日本人に限るが如きは[、]軈て日本人は海外地帯占有の領土的野心あるものとして排日宣伝に口実を与ふる虞れあるを以て[、]外国移民を包容するの方針に出でざるべからず[。]

 

 第四章 伯国に於ける外国の投資競争

  伯国の広大なる富源と稀薄なる人口とは伝統的労資輸入方針となり[。]欧洲各国殊に英仏は欧洲大戦前に於ては巨大なる投資を、公債に、企業に行ふに至れり、北米が南米に着眼して投資企業に大飛躍を試るに至りしは極めて近時のことに属す[。]Theodre Rosevelt氏は一九一四年南米旅行より帰りて「現世紀は南米の世紀なり」と謂へり、同様にRoot氏は「十九世紀は合衆国の時代なり[、]二十世紀は加奈陀の時代なりとLord Gray氏は言ひしも[、]予は二十世紀は南米の時代なりと言はんとす」と揚言し[、]更に「南米に於ける米国の投資は速に経験家の指導の下に断行すべし[。]単に投資の見地よりのみならず[、]貿易発展の手段として緊要なり[。]南米の進化したる国に於ては資本を要する利益多き企業は多く[、]而も財産及利益は北米及加奈陀に於けると同様に安全なり」と言へり(The New Latin America T. Warshaw 1922 二頁以下)[。]多数の米国政治家、南米に来り其の帰りて奨励を加ふるや実業家の南米視察となり[、]大戦後に於ては北米独り資本的活躍の観あり[。]

一九二四年大統領教書に依れは[、]
    英国公債   連邦債    一一〇、四五六、九五六磅
                    州債       二三、九五〇、三九〇磅
                    市債       二四、三五八、六三〇磅
                  計        一五八、七七三、七九六磅
   仏国公債   連邦債     三二二、二四九、五〇〇法
                   州債      三八一、三五五、三三八法
                   市債        六三、二五〇、〇〇〇法
                  計        七六六、八五四、八三八法
   米国公債   連邦債       六八、九九六、五〇〇弗
                   州債         五一、〇九一、〇〇〇弗
                   市債         四一、〇〇〇、〇〇〇弗
                  計        一六一、〇八七、五〇〇弗
なり、外国の資本的活動の内[、]最も注目に価するは鉄道なりとす[。]

 一九二二年に於ける伯国鉄道の総延長は一万八千三百十五哩にして其の大部分は聖州に在り[。]連邦政府の特許の得たるもの四千四百八十哩、州政府の特許を得たるもの三千三百二十八哩なり、英国は夙に鉄道利権の獲得に注目し最も難工事なりしと称せらるるサンパウロ、南部サンパウロ、オポルディナ、伯国東北の各鉄道を所有し[、]資本家パーシヴァル、ファカー(Percival Farghar)を主脳とする一九〇六年伯刺西尓鉄道会社設立せられソロカバナ、サンパウロ、リオグランデ、パラナ、パラナ北部、テレサ、グスチナ等の鉄道を経営せり、英米資本にて成れるリオ市及サンパウロ市電車等の独占の如き英国資本によるリオ市街改良工事の如きパラ、ペルナンプコ、バイヤ、リオ、リオグランデ等の仏国資本に依る港湾修築及経営の如き、公共企業投資を初めとし鉱業、各種工業、農業、牧畜、土地に投資盛んに行はる、英、米、仏に亜ぐものを独、伊、白の投資とす[。]

 聖州に於ける伊太利の資本的勢力が漸次強大となり[、]予が聖市に於て視察したる工場中にも伊、伯合資に依り[、]或は伊太利人のみの経営しつつある工場少からず[。]独逸は戦後勢力を失墜したるも南部サンタカタリナ、リオグランデに於て動かすべからざる資本的勢力を保持せるを見る、各国の資本的活躍に亜ぎ忘るべからざるは其の金融機関なりとす、英国は最も多額の資本を擁する倫敦伯刺西爾銀行(London & Brasilian Bank Ltd.)あり、伯国に使用せる資本三千万ミルレースと称せらる、其の他南米英国銀行(British Bank & South America Ltd.)あり、仏伊合資に成る南米仏伊銀行(Banque Francaise [e]t Italian pour l’Amerique du Sud)あり、米国はNational City Bank of New Yorkあり、独逸か独逸ツランスアトランチコ銀行(Banco allem as Trums Atlantico)、独逸伯刺西爾銀行(Bras. Bank für Deutchland)及独逸南米銀行(Deutch-südamerikanishche Bank)を利用して移民の南米発展を策したる如き特に留意すべく[、]其の他加奈陀、葡萄牙、和蘭等各其の金融機関を有す[。]

  我国の伯国投資として見るべきは大阪商船の定期航路、日本郵舩の不定期航路、海外興業株式会社がイクアペに植民事業を行ふ外特に見るべきものなし[。]

  英米両国のラチン亜米利加全部に対する投資額の正確なる数字は固より之を知るに由なきも其の推定は公債個人企業を合して米国は四十三億弗、内伯国に対しては二億七千万弗を下らさるべく、英国は推定六十億弗、内伯国投資十五億弗を下らざるべしと謂ふ[。]

  欧洲大戦前に於ては英、仏、独等欧洲資本の輸入盛なりしが[、]戦時及戦後欧洲外資の活動休止となるや[、]米国は欧米の創痍未だ癒へざるに乗して巨大なる資力を米国流の放胆なる投資により南米飛躍を策しつつあり、米国は南米特に伯国、秘露に資本的、政治的勢力を支持せんと努力するに対し、恰も両国は我移民の比較的多数居住する地なるを以て戒心を要するや勿論なりとす[。]

  我国は南米を距つること遠く[、]且つ利率高き資本を投下して営利事業を行はんとすること固より難事なり[。]投資すべき事業は多端なりと雖も[、]予は土地投資の移民策より見て最も重要なるものなりと信ず[。]盖し伯国は移民の誘引と外国資本の流入を国是と為し居るのみならず[、]今や欧洲の資本投下休止す、遅れたりと雖此の機会を逸すべからず[。]

 既に聖州の如きは漸次開拓せられ[、]奥地にあらざれば之を得ること難く[、]鉄道沿線は漸次地価の騰貴を見る[。]殊に本年の如く農産物著しき好況の秋に当りては土地投資盛にして益々地価の昂騰を見つつあり[。]目下日本人の発展しつつある地方ノルウエステ、ソロカバナ鉄道の中間地帯及パラナの如きは尚土地事業好望の地方なるべし[。]

  土地事業と連関して最も必要なるは鉄道なり、伯国は運輸交通の便悪しく[、]折角の生産物も場所に依りては徒らに路傍に横へられ[、]空しく腐朽に委せられたるを目撃せり[。]土地事業の運命は主として交通機関に繋ると謂ふも過言に非らず[。]大なる土地経営は状況に依り鉄道経営の用意を必要とすべし[。]

 

 第五章 伯国の南三州

  茲に南三州と称するはパラナ(Parana)[、]サンタカタリナ(Santa Catarina)[、]リオグランデドスール(Rio-Grande do Sul)の三州を指称す、予は主として移民問題の観点より此の三州を視んとす。パラナ州は面積九万三千二千二百六十九平方哩[、]人口僅に六十万五千七百十一人なり(一九二〇年調査に依る)[。]気候良順にして首府クママチバ(Curityba)の如きは人口六万五千最も健康地なりと称せらる、海岸地は米、砂糖、烟草、豆類の農作に適し所謂ライチバ中央平原地は各種麦類の栽培に適し[、]北及北西は珈琲及綿の産地として近時の発達顕著なり、重要産物はマテ茶(Herva Maté)とマラナ松なりとす[。]

 嘗て大統領が揚言せし如く「凡て為すべく残されたるの州」(Everything remains to be done in the State)なりとす、然れども人力の欠乏(Hunger of Man Power)と資本の不足を以てパラナ州今日尚ほ肥沃の土地の徒らに遺棄せられ居るの主因なりとす[。]資本、殊に鉄道は土地開発の生命なるに拘らず、未だ発達を見ず[。]

 政府は鉄道線路にして其の附設と沿線の特権を与へたるもの尠からざるも[、]企業者に誠意なく投資力の不足の為め之が実現を見ざるもの多数なり[。]貧弱なる政府の財政を以ては如何んともすべからず[。]偏に外資の活動を俟たざるべからす[。]労力と鉄道とパラナグハ港の修築は本州の生命なるにも拘らず[、]一も達成に至らす[。]近時聖州も漸次開拓地少く[、]労力も増加しつつあるの秋なるを以て気候と資源の関係よりして移民上最も注目すへき地と見受けたり。(The State of Parana, Brazil it[s] past, present, and future growth. Chamber of Commerce of S. paulo & South Brazil参照)

  予は政庁に州総務長官Cel Alcides Munliozを訪ひ[、]氏の意見を叩きしに曰く「吾人の人種の如何は更に問ふものにあらず[。]移民は喜んで迎ふる所なり[。]但し州としては財政上何等の経済的援助を為すことを得ず、若し土地の会社ありて之を経営せんとならは無償にて土地を下附するも可なり[。]又鉄道に就ても敷設の特許を与ふべし[。]本州は滝多く従て水力豊富、土地広大にして[、]珈琲に米に其の他雑穀に適す、吾人は本州は実に本州は天国なりと考へ居るなり投資は単に鉄道のみに限らず[、]各種の企業投資は吾人の歓迎する所なり」と以て政府当局の労資に対する態度の一斑を知ることを得べし[。]

  サンタカタリナ州は面積二万七百八十平方哩、人口六十六万八千七百四十三、リオグランデドスール州は面積九万一千三百十平方哩、人口二百十八万二千七百十三人(一九二〇年調査)なり、両州共に温帯に属し前者は玉蜀黍、マンジョカ、甘蔗、葡萄等を主たる産物とし、後者は玉蜀黍、マテ茶、米、麦、豆類を産し牧畜亦盛にして凍肉、乾肉の製造輸出多額に上れり、

 サンタカタリナ州の首府フロリヤノ、ポオリス(Floriano polis)は人口三万六千を有する死せるが如き都市なるも[、]リオグランデドスールの首府プオト、アレグレ(Poto Alegre)は人口十八万を有する伯国南部の要港たるのみならず[、]工業殷盛なりリオ州は鉱物に富み石炭を産し、伯国政治上、経済上、聖州に亜く重要の位置を占む[。]

  サンタカタリナ州植民農務局長(Castancia Riummel)氏は語るらく[、]「サンタカタリナ州は独逸人の植民を多数とし[、]人口の六分は外国人なり[。]海岸地帯は最も気候良く[、]独逸人、伊太利人等外国人の居住するもの多し[。]中部は伯刺西爾人、内地は多く土人居住す、工業未だ発達せず[、]産物は多く原料の儘輸出し居れり[。]政府は八年前より官有土地を会社又は個人に特定条件を付して交附するの方針を採りたるを以て[、]目下官有土地は極めて尠し、多くは十年間に入植せしむる条件にて其土地は小分して入植者に配分するものとす」と又

  リオ州土地局長(Director de Terras)なるCe. Torres GouCalves氏は曰く「本州に於ては独逸系人三十六万人、伊太利系人二十八万人在り目下の問題は外国人を如何にして同化せしめんかにあり、移民は絶対に新に入国せしめず又現在集団せる外国人もなるべく鉄道の完成によりて之を分散せしむるを方針とせり[。]殊に現に移植せられざる土地を現在人口の増殖率を以てせば十五年間位にて充実すべし」と以て両州の移民方針の一斑を知ることを得べく[、]移民の希望を有するもの単りパラナ州あるのみなり[。]

  伯国に在住する伊太利系人は少くも二百万人にして過半数は聖州に在り[。]其の事業に於て経済上、社会上重要なる地位にあるのみならず[、]其の送金は国際為替の決済上優秀なる成績を示す[。]

  独逸人は其の勤勉と組織力に依りて南二州に根拠を占め[、]其の文化の上に貢献する所少からず[。]然れども団結力とチウトン民族の特色を存し独逸語を捨てず[、]為に欧洲戦争中に於て伯国の連合軍に投ずるや国内に一敵国をなすものとして問題を惹起せしこと些からず[。]独逸系上院議員Lauro Müller氏は当時伯国外務大臣たり[。]将来の大統領を以て目されたる人物なりしも遂に氏の隠退の止むなきに至らしめたりし如き事実あり[。]独逸の移民は独逸の土地狭小に基く自然の膨張に因るものにして、独逸人を目するに侵略主義者を以てするは誤りたるものなりと謂はざる可からずと雖も[、]我国移民の省察すべき点なりとす[。]

  予はサンタ、カタリナ州独逸移民の中枢たるブルーメナウ(Blumenau)の植民地を視察したるを以て少しく其の感想を述ぶべし[。]

  現在のBlumenau郡は人口十一万二千を有する移民地なり[。]此の植民地の建設はDr Hermann Blumenau氏が一八五〇年初めて十七人の移民と共に来りて[、]本植民地開拓に全精力を傾注したるの地なりとす(氏は一八八四年独逸に去り[、]一八九九年八十歳を以てブラウンシウハイヒに於て歿す[。]郡役所前の小公園内氏の紀念碑は其の不朽の事業を語る)[。]Blumenauは一八五〇年九月同氏によりて開設せられ一八九四年七月市となり現在に至る[。]人口五千内外の小都市なるも学校、病院其の他文明的施設を有し[、]独逸式の色彩明瞭にして今日尚独逸語は一般に使用さる[。]交通はイタジヤイ河に依り連邦政府の経営になる河航会社の汽船によりてイタジヤイに出づべく[、]六十九基米は連邦政府経営の鉄道によりHammoniaに通す[。]

  Hammoniaには一八九七年設立せられたるハンズアイチツセ植民会社あり[。]所有土地十二万七千町歩、地区数二千、家族千八百、人口一万余、主として独逸人入植し居るも伊太利人、伯人あり[。]ハンザ植民地と称し事業着々進行中に属せり、予Blumenau及Hansa植民地を視、日本の其れと比較するに[、]
    (イ)宗教心あること
    (ロ)定着的恆心あること
    (ハ)農業組織の可良なること
    (ニ)経済組織殊に組合組織の進歩せること
    (ホ)文化的施設あること
以上は独逸植民地に於て特に慫慂すべき点なりとす[。]

  独逸植民地の各集団地には教会あり[。]日曜には礼拝し集団の中心をなす[。]従つて恆心も自ら生す[。]住宅の模様は年数の関係も勿論ありと雖も[、]如何にも住み心持善きが如く建てられ、伯国人又は伊太利移民と截然と識別し得るなり[。]

  本来Blumenau植民地は地形は山脈逼り[、]平坦地少し[、]地利悪しきか如し[、]而も独逸人の勤勉なる山腹は之を牧場とし[、]如何なる農家にも牧畜を行ひ平地は之を耕地として玉蜀黍、マンジオカ、甘蔗、野菜、豆類を栽培し畜主、農従の如き観あり、伊太利人の農主、畜従と其の趣を異にし独逸移民の健実味を表現す、住宅、牧場、農地凡て清潔に秩序より整理せられ居るを見たり[。]

  販売購買の産業組合も余程より運用せられ居れり[。]予の訪問したるはHansaの農業生産及消費組合なりき、理事Meyer氏は語る、「此の組合は一九〇九年に農産品の販売、日用品の購買の目的を以て設立したるものにして組合員二百五十人を有す[。]牛酪、乾酪の製品はリオ市、サントス港其の他各地に輸出しつつあり[。]而して其の売価により購入牛乳代金を上下しつつあり[。]購買より得たる利益は其の一部を積立て[、]一部は購買代金に依りて払戻しを為す[。]一年間収入支出を合して一千コントを取扱居れり[。]牛乳の如きは毎朝缶に入れて戸外に出し置けば[、]組合に於て総て取集むるか故に極めて便利なりと語れり、牛酪、乾酪製造工場を親切に案内し呉れたり、如斯経済的にも其の共同心の旺盛なるを見るべし。植民地には何処にも学校あり病院あり金融、娯楽の途[、]備はり以て百年の長計を策せり[。]

  是等独逸の植民地を我国の其れに対比せば如何、既に我が移民の状況に於て略述したるが如く定着心なく[、]移動常なく[、]一攫千金を夢み[、]時に所謂掠奪農法により住宅の如き掘立小屋に居住して[、]人生慰安の如きは意に介する所なく[、]互に反目嫉視して経済的合同の如き円満なる運用をなすに至らずして[、]徒らに商人の為に利益を壟断せらるるに至る、文化的施設に至りては資力の関係あるべしと雖も[、]之を求むるに由なし、独り本植民地に限らず、智利南部に於ける独逸植民地に於ても同様の感をなせり。我国の植民地と対比して学ぶ所尠少にあらず[。]

  以上伯国南三州旅行によりてパラナ州は将来の移住地として最も好望にして[、]サンタ、カタリナ及リオグランデドスールの如きは最早や移民の余地なく且つ南部に於ける独逸移民の一般と其の長所を概言したるに過ぎす[。]

 

    第六章 結論

    一、伯国は移民地として適当なり
  予は伯国、亜国、智利、秘露の諸国を視察し[、]伯国は最も移民国として適当なる地なるを信ず[。]蓋し伯国は土地広大に人口少く資源に富み[、]農業移民か土地を得ること容易なるを以て農業的移民として適当なりとす[。]

 尤も伯国と我国とは遠距離にして欧洲移民に比し移住に不便の点なきにあらざるも比較的好適の地となさざるべからず[。]固より農業移民地としての考察にして[、]南米諸国は未だ農業国にして何れの国に於ても工業は僅かに萌芽を出したるに過きずして[、]大多数の工業品は欧米より輸入しつつあるの現況なるを以て[、]農業及工業等投資は有望なる事業たるを失はざるは勿論なりとす[。]

    二、    移民策の確立
  第二章に於て伯国に於ける人種問題殊に排日問題の経過を序し[、]移民対策として其の緩和並に移民協約の必要と移民政策の確立の要を切言したり、若し今日の如く伯国移民を自然の推移に放任するときは後日[、]日米問題の轍を履むことなきを保すべからず[。]

   三、    土地投資は今の秋に於てすべし
  伯国に於ける投資競争は第四章に於て之を述べたり[。]我国に於て伯国土地投資の議あるや久し、然も徒らに北米の乗する所となり、日本は大土地事業を計画したり或は震災後大多数の移民を送るべしなど風声のみ南米の地に高くして実現したるもの一も之れなし、土地投資も已に遅れたり[。]而も未だ余地なしとせず[。]我国資本家か偏に政府に依頼して独力実行するの勇なく常に国家の背景により行動せんとす[。]宜しく英米の資本家に学ぶ所なかるべからず[。]

    四、    移民会社改造の要
  移民策の確立と共に移民会社の改造を必要とす[。]蓋し我国の移民取扱は営利事業として行はれ来れり[。]現に営利会社の行ふところなりとす。移民事業は其の性質上より考察し之を営利事業として営利の目的に供すべきものに非ざるべきを信ず。従来移民事業の不振にして各種の批議を招きたるは其の営利事業たるに起因するもの多きを思はざるべからず[。]故に土地並に附属事業は単に営利事業として其の経営だに宜敷く得ば[、]成立すべきものなり。移民事業は之と切り離して公益団体をして行はしむるを可とす、之か具体的方策は別に之を考究せざるべからず。予は茲には移民事業を営利会社に一任して以て移民保護を期せんとするの誤れるを指摘せんと欲す

    五、    移民船改良の急務
  予は移民船をサントス港に迎へて其の実情を知るの機会を得たり、移民船は其の航程六十三日の長時日を要す、移民は三百七十人中死者三人を出し[、]且つ航海中多数の病者を出せしのみならず[、]舩内は不潔甚だしく衛生上寒心に堪へざるものあり。宜しく移民船を改良し其の航海期間を短縮して[、]傍ら南米貿易の振作に資するを最も急務なるべし。明年より優秀移民舩を建造して南米航路に充当する計画成れりと聞く、一日も速に実行せられんことを望む

    六、    金融機関の設立
  第三章に於て我国移民の現情より見て金融機関の移民の発展上一日も等閑にすへからさるを述べたり。予は移民策として金融機関の施設は最も緊要のものたるを信ず。

    尚、参考として伯国に関する諸統計を添付す(省略)