『香山六郎回想録』 香山六郎著 サンパウロ人文科学研究所 1976 pp. 418-419
第四部 第二次大戦とその後 1941~1958年 暗黒か再建へ
「置き去り」(抄)
…(前略)…
敵性国の新聞(伯字紙)にでも、「在留日本人よサラバ。平和の日まですこやかに暮らせよ」と別れの挨拶の広告位は外交的相談がつかなんだのであろうか。否、あの際日本大使総領事等外交官連は日本植民には内密極秘の帰国振りであった。我々は平素一面には天皇の赤子だと認識を強いられながら、一面はいざとなればサヨナラもつげられずに棄民扱いをされたのだ。私達は駐伯日本外交官の吾々に対してサヨナラも告げずにかくれるように逃げていくような態度に彼等の民族的、否人間的教養の浅はかさをしみじみと感じた。吾々移植民に永住せよなんておすすめなさる外交官連中が敵性国人となれば一番に尻に帆かけてにげ出すお偉方なんだ。日本外交官頼むにたらず――と痛感した。第一回の外交官交換船が去った後、第二の交換船が又来るそうな――と噂がとんだ。「今度は吾々も帰国させてもらいたい。香山さん、その手続きをどうすればいいか調べてくれませんか」と私はいろいろの人々に頼まれた。
…(後略)…