橋浦昌雄関係資料 <移(一)-ブラジル-124 -1-2-1>
ニュースと
随感録
27−9−1491
21−7−1942
- 1941年9月27日
- 1941年10月22日
- 1941年5月11日
- 1941年11月22日
- 1941年12月1日
- 1941年12月12日
- 1941年12月28日
- 1942年1月6日
- 1942年1月21日
- 1942年1月26日
- 1942年2月7日
- 1942年2月19日
- 1942年2月27日
- 1942年3月6日
- 1942年3月10日
- 1942年3月17日
- 1942年3月18日
- 1942年3月20日
- 1942年3月29日
- 1942年3月30日
- 1942年4月1日
- 1942年4月3日
- 1942年4月4日
- 1942年4月15日
- 1942年4月18日
- 1942年4月21日
- 1942年5月4日
- 1942年5月8日
- 1942年6月1日
- 1942年6月3日
- 1942年6月7日
- 1942年6月8日
- 1942年6月16日
- 1942年6月19日
- 1942年6月20日
- 1942年6月22日
- 1942年7月2日
- 1942年7月15日
- 1942年7月21日
27−9−1941
1、独ソ戦近状
ウクライナ地方要港オデッサは八月大激戦の上にて占領。仝地方中心都市キエフは九月無血占領と伝へられる。然し何分独側。英側共に宣伝戦が激しいので何処までが真実か一寸判断しかねるが。独側が有利に進撃しつつあることは事実である。
1、日本外交の近状
新聞の報ずるところでは。日本の態度は崩壊の一歩前の様に見へる。北米油船が日本海を通過してウラジオ港に入ったが日本は指をくわへてなすところがなかった。何れは三国同盟から脱退して英米の走狗となるで
近衛内閣改造松岡外相隠退は。日本が南進を中止して北進を本格的に実行する前提であると云ふのが九分九厘までの人々の観測であった。自分は松岡外相の隠退。海軍、財界元老達の進出は英米との衝突回避が主眼で。勿論ソ連とは互に不可侵条約を厳守する。然し如何に海軍や財閥が誠意を披歴しても。英米が日本の真意を感得することは不可能だから。結局戦争によって解決する外はないで
然し日本国は外国と戦って戦禍を蒙った経験がないから万一英米と戦って空襲を受けると予想外の混乱に陥るかもしれない。それで自分は不幸英米と戦ふことになっても秋の収穫終了。即ち十一月末までは日本は隠忍自重するで
以上の如く近衛内閣改造当時私は断言したが。私の観測は追々と其確実性を増して来たが。今でも日本の秘密主義が禍をなして日本人でさへ悲観説をなすものが多い。
ゼツリオ大統領は其教書の内に農民のため特に留意することを示されたと云ふ話である
国力の源泉は農業である。私達が其農業に従事しつつあることは光栄とすべきだ。
明年サフラの実綿価20.$000籾価40.$000を伝へて居る。殊に我達の耕地は開拓二年目だから此農期に陣容を整備せねばならず又財政の立直しは確実に出来ると自信しては居るが。一面国富を増進するためには農民が先づ犠牲となることは歴史が繰返し証明してるから農民は決して楽観してはならぬ
22−10
十月十七日 近衛内閣総辞職
十月十八日 東條内閣成立
閣員全部枢軸側であり。国内統制強行の支持であるから日米戦も時日の問題となつた感がある
1、独逸はモスコーを半円形に包囲し既に工場地帯にも弾着距離に接近し十月中にモスコーを占領すると声明したと云ふことだが。今日のモスコーはナポレオン時代の様に簡単には退却すまいと思ふ
1、伯国精綿相場は一時四拾参〔ミルレース〕まで暴落したが近々日本船の入港もあり。其内北米の態度が冷静となれば。仮りに日英戦が始まっても物価の変動は少いと思ふ
私達移民の立場から願ふところは日英戦は始まっても日米戦にまで展開しないことである
5−11
1、本日のニュースによると十一月十五日臨時議会招集し最後の腹を決めるらしい。就ては万全を期するため野村大使の相談役として来栖大使を特派すると云ふことだ
1、ソ連はシベリヤ軍の来援によってレニングラード及びモスコーの陥落の危機を脱したらしい。然しソ連政府はサマラに移転したことが明らかになった
1、ウラジオ港布設の水雷らしき浮流水雷に日本戦衝突爆沈百八十一名行
1、伯国新聞の報導では日米戦開否半々の様だが自分としては不可避と思ふ。従って日本人も政治的に圧迫を受くることは覚悟せねばなるまい
1、邦字新聞の発行が禁止された中途は。一寸淋しかったが今では別段に不自由を感じない。幸ひに文明の真髄ラジオの発展によって一般人が同時に正しき判断を下すことが出来るので。流言飛語に惑はさるることもなく安心して職業に精進するものである
22−11
1、母国臨時議会は三十八億円の臨時軍事費を筆頭に政府提出案全部を満場一致可決。尚ホ政府鞭撻の決議案を提出して昨二十一日予定通り閉会した
1、前項の通り日本の態度は確定したが政治的に全然慣例を異にする北米としては之れをも一種の宣伝と見做して徒らに外交辞令を事として居るから。結局来月早々には泰国ビルマ国境に於て衝突。世界戦の開始となるで
北米に対する日本の声明要旨。日本は世界永遠の平和のために戦って居る、正しき平和は弱小国が強国の圧迫から解放されるでなくては成立せぬ、然るに英米は日本の真意を解することを故らに避け。只々旧式外交によって自己の利益を擁護せんとし、益々日本包囲陣を強化するの形勢にあるので。日本は
1、今や米は狼狽し英は沈黙してるが数日内に其去就を決することは出来兼ねるで
1−12
1、信んずべき筋よりの報道によれば最終(十一月廿六日)日米会談に於て米側から提出した文書の内容は
先決問題として支那及仏印に駐屯する日本軍の即時撤退を要求せるものだと
日本側は之を拒絶。
1、パナマ、シンガポール、フィリッピン、蘭印等の日本人引
1、米国総領事は日本、支那、香港の在住米人に引揚を通告したと
1、英はビルマ国境に日本は仏印に各々大軍を集注し今や一触即発の状態にあることは確実らしい
1、アランニヤ伯国外相が「アルゼンチン」を訪問した際の声明
米洲諸国は米洲の平和のために合衆国を支持する。若し米洲の一国が兵禍を蒙むる場合。他の米洲諸国は中立では居ない
1、ゼツリオ大統領の最近集会席上での声明
伯国は自国の平和を第一とするから努めて参戦を避ける
1、大統領の国民を愛する心。外相の隣国に対する情誼。共に掬すべきものがある
私達は伯国の平和を祈ると共に各々其職務に精進するのみだ
12−12
1、
1、今朝のラジオで「大東亜戦争」と称することになったと放送された。
大東亜戦争!!実に簡単明瞭に戦争の目的を指示してる。
1、独伊も宣戦布告をなし三国同盟を一層強調せる新協定成立と
1、英米は三国に対し宣戦布告をなし全米洲の協同防衛実現に拍車をかけて居ると
1、リオデジャネーロで南米会議開催。近々伯国の態度も決定し。自然在伯の日、独、伊人は圧迫を受くることは事実らしいが。之れは止むを得ぬことである。
私達農民は専心農業に従事して。伯国人の敵愾心を緩和する外に術は無い
1、九日より一般に銀行の営業停止が命ぜられたが数日内には農業資金は伯人の手を経て「バンコ、ブラジル」から貸出を開始されるらしいと其筋の人の話である
1、宣戦布告と前後して十二月八日。日本艦隊が
1、今日迠日本軍の損害は海鷲38、陸鷲16、掃海艇1、以上喪失。軽巡洋艦1、損傷のみと。策戦の優秀サが想像される
28−12
1、ビルマ方面は。ラングーン市の空爆に止まるらしい
1、シンガポール方面はマレー半島へ東西両方面から陸軍上陸し南下猛進撃中で日本軍占領地のマレー人は喜んで日本軍に協力しつつありと
1、ボルネオ島に三ヶ所より上陸猛進撃中と
1、香港へ陸軍上陸以来猛攻撃を継続し遂に十二月廿五日午后四時降伏したので。仝日午后九時武装解除終了とのことである
1、フィリッピン北端呂宋に上陸せる陸軍は戦車を先頭として猛撃南下。大統領はマニラ市は非武装都市と声明して米軍と共に要塞に入るものらしい
南島ミンダナオのダバオ港に上陸せる日本軍は即日仝市占領。同島には日本人約二万人在住の筈にて内一万人は救出。六千人の婦女は行衛不明の由なり
此方面にて今日迠に捕獲せる船舶は四百余艘三百余万
1、布哇真珠湾にて爆沈されし戦闘艦九隻は最小二万九千噸最大三万二千六百噸。
特種潜航艇にて爆撃されたりト米側報ず。其後日本軍潜水艦にて北米大陸との連絡を遮断しあるものの如く詳細不明。
英米側のニュース並に新聞は。日本の卑劣なる行為を罵倒し英米の報復は堂々と近く実行さるべしと発表されあるも。東洋の戦争形式と西洋の形式の相違にして、結局英米の戦略が日本の戦略に敗けたものに外ならぬ
1、伯国の態度は未定であるが何れは全米洲の共同防衛と云ふことになるものと覚悟せねばならぬ
然し日本が戦争を東亜に局限して居る以上は全米洲が好んで参戦はせぬであろふ。従って幾分の自由は束縛されても生命に別条なく財産も凍結以上ではあるまいと思ふ。殊に我々農民は国家生存上の源泉であるから。其職業に熱心であれば。日本人であっても迫害は軽いと思ふ
私達は流言飛語に惑ふことなく。ゼツリオ大統領の人類愛に信頼して農業に専念すべきである
6−1−1942
1、南支方面に蒋介石出動して香港に協力。日本軍を挟撃する策戦であつたらしいが長沙付近で反撃され遺棄死体一万九千人捕虜七千人を出して全滅
1、マレー半島東海岸は全部攻略済み。西海岸は「マラッカ」まで進撃とのことである
1、英領ボルネオは全部殆んど攻略済みで石油井も二百本の内八十本は修繕して採油に着手と
1、フィリッピンの主都マニラ市は一月二日無血占領。逃ぐる敵を逐ふて猛進撃中なりと
1、濠洲北端の要港ポートダーヴィン空襲
1、
1、八日開催の噂のあった全米外相会議は十五日リオ市で開催されることに決定したと
私達農民は三猿主義で職業に専念してるが市に住んで居る商工業者は一喜一憂。日々の報導に七面鳥の如くである
1、私は隠居役に時々町に出で。世界的推移は見通して後日の思出に記録を継続する考である
1、私の想像を此処に記るして後日の対照に資する
△蒋介石は六月までは頑張る
△シンガポールは難攻不落の要塞だから日本も犠牲を少くするため一月中に包囲を完了し陥落は六月頃か
△フィリッピンは主なる都市は一月中に占領するが完全攻略は三月か
△ジャヴァは二月に電撃的攻撃にて占領か
△ボルネオ、スマトラ、ニュギネア等は未開地多く広ヒ島だから主要都市占領は一月二月中に済むが全島占領は急がぬで
△豪洲上陸は七月か
△ビルマのラングーンは三月。印度のコロンボは七月に占領するが奥地は革命を援助する程度
△
△布哇占領後。軍需物資を集積するのに三ヶ月を要するとして。十一月に改めて英米に対し。戦争終結の外交辞令を送り英米は之れを一蹴するから。
21−1
1、ビルマ方面。二十一日ダボイ市占領遺棄死体570捕虜150、
1、マレー方面。マラッカ東南70kmの地点を最後の拠点として濠洲兵二万人印度兵九千人にて死守。日本軍は裏面に特種隊を上陸せしめ挟撃中なりと
シンガポール飛行編隊の襲撃をマレー半島に於て日本陸鷲迎撃し其都度大半を撃墜。又海鷲はシンガポールを空襲して飛行場、石油タンクは完膚なく破壊せりと
1、フィリッピン方面。米軍をバター半島に追縮
1、濠洲、スマトラ、ニュギネア、等は空襲程度
1、ジャヴァは空襲さへ差控へて居る模様なり
1、議会に於て東條首相の声明
△香港、及びマレー半島は日本属領とし東亜共栄圏の拠点とす
△フィリッピン及ビルマは日本に協力するならば独立を認める
△蘭印及濠洲は今後の態度に応じ処理する
△英米に対しては日独伊三国協力して徹底的に膺懲する。又和戦共に三国の協調は強固である
△ソ連及南米等に対しては従来通り友好関係持続を希望
1、汎米外相会議の情勢は五ヶ国は宣戦布告。十二ヶ国は国交断絶。ブラジル、ウルガイ、アルゼンチン、チリー、の四ヶ国は未定なると
最近ブラジルも国交断絶と決定せる模様なり
1、香港攻略戦利品左の如し
戦車10、自
日本軍損害。戦死者674、負傷者1404、
1、国交断絶とは通商断絶と宣戦布告との中間を行くもので宣戦の一歩手前である。恰度降り
26−1
1、伯国は中立か。と自分の都合上から憶測して居たが
1、簡単に考へると。例えば夫が離縁すると云つても妻が承知せず頑張つて居れば元通り仲好くなるが。其処で妻も立
然し裏面工作に万全を尽した上でのことで
私個人の観方としては。平和の時代からして外交官と云ふ者は案外智恵の無いものだ。夫れに当世の日本外交官は先進文明国の外観だけを真似て骨髄を知らず。オマケに東洋的精神を失つて居るから。総てに軽薄で見て居られない
こんな外交官は今迠でも頼みにはして居なかったが。夫れでも多くの人々は頼みにして居るのだから仕末が悪い。
白人間の社交ダンスと云ふものは徳川が吉原を創設した趣旨と同じもので。之れに堪能なので能事了わりとするのは間違ひだ
都市田園到るところで黒白自由労働者がダンスに耽溺してるのを見ると。老人は勿論日本と云ふ国情を余まり知らない青年達でさへ其無智に長大息するが。私は此青年達を見る時窃かに冷汗を感ずる。それは私の青年時代に官憲が田園の盆踊りを停止した際。志士を気取つて議論した其無智を回想するからである
母国日本が此世界的大戦を大東亜戦争と局限せる精神には今迠感じたことのない程。偉大なる敬虔の念に打たれる
然し従来から見聞する。強きを挫き弱きを助ける喧呵の懸引と云ふものは争ひを大きくする傾向がある。勿論此懸引は効果的ではあるが。兎に角、事は大きくなるのではあるまいか
1、国交断絶に関連して起るところの三国移民に対する圧迫程度は
△団体集会絶対禁止
△自宅以外に於ては絶対に伯語以外の使用禁止
△伯語以外の書簡応答禁止
△武器凶器の没収
△旅行許可制実施
其他二、三にして当然なる禁令である
兼ねて危惧の念を抱いて居た。一地監禁等のこと無く安んじて農業に従事し得ることを神様の名に於て感謝せねばならぬ
7−2
1、重慶。各所に殲滅戦続行中
1、ビルマ。マルダバン市占領ラングーン市に30キロ
1、シンガポール。対岸ジョホール各高地に重砲を据付け四日より飛行機と協力して総砲撃開始。
一月廿五、六日両日の如きは陸鷲廿八回海鷲廿三回連続爆撃で地上施設は完膚なく敵機100を爆破したと
1、スマトラ。四日陸鷲遠征
1、ボルネオ。沿岸に於て敵潜行艇に撃沈されし我運送船四艘は陸軍上陸の帰路にて軍兵には損失なしと
1、フィリッピン。五日マニラ市に親日市政府成立
1、ビスマルク群島。日占領軍政署を置く(元独逸領)
1、ジャヴァ。沿海に於て数次海戦あり
以上の状況を見るとシンガポール攻略に主力を注ぐもので私の予想であつた六月陥落は桁ハヅレである
ジャヴァの二月電撃攻略も奇戦であるから予想ハヅレで。日本軍の堂々たる正攻法が頭にピンと響いて来る
19−2
1、昭南島。シンガポール占領と同時に爾今「昭南島」と呼称する旨声明。
九日敵前上陸。西北方最高々地を占領
十一日市街戦開始。十三日市街地の大半占領
十四日、海軍側にて軍港占領
十五日午後七時軍使来降、続ひて総司令官来り正式降伏
午後十一時全部の武装解除終了
籠城の敵兵力、英15000濠13000印32000.市民100000?
マレー半島貫通鉄道修復完了昭南島市街地迠全通
爾今大東亜戦総司令部を昭南島に置く
総司令官寺内大将。総参謀長澤田中将、山下中将(シンガポール指揮官)
1、スマトラ。十六日落下傘部隊バレンバン市飛行場占領
1、印度人が独立を希望するならば之れを援助すると東條首相声明。
1、伯国情勢
北米向け輸送中なりし伯国船バルケン号(五千
1、アロース、セパラード一時130$.000を称へしも現在は110$.000 籾2:1にて55$.000
アルコドン先売15$.000のところ売買停止。13$.000の呼値あり
27−2
1、シンガポール占領戦果。銃砲200、機関銃2000、装甲自働車200、普通自働車10000、オートバイ200、
船舶 一万トン 1、五千トン 3、四千トン以下100、捕虜73000(内将官28負傷者8000)豪洲兵戦死18000英兵不明
日本軍死傷者3000
1、廿四日 チモール島占領(蘭葡両方面共)
1、仝日航空母艦1、巡洋艦2、駆逐艦6の編隊ウェーク島へ逆襲
主として要塞砲にて応戦巡洋艦2共大破退却
1、廿五日 ロスアンゼルス沖八哩のサンタバルバウ群島を日本潜水艦砲撃。
仝島石油タンク炎焼全米に大センセイション起る
1、廿六日 ニューギネア北東洋上にて米国有力艦隊空中警備十哩に亘る大規模の警戒網の下に進行中を発見し。飛行機体当り戦法により敵戦闘機1、母艦1、を大破四散す
1、廿七日スラバヤ沖にて遭遇戦あり目下激戦中
1、伯国内情勢
伯国商戦爆沈三隻に及び綿価四十八〔ミルレース〕に下落
実綿価拾弐〔ミルレース〕以下には下落せざるも政策により半額は小切手取引取引と金融界は拘束を受くならんと
之れは当然のことにて別に驚くには及ばず
アラサツーバ元日本人会長勝田氏ペンナポリス警察署へ召喚さる。幸ひにして謄写版刷を尋問されしに止まり翌日帰宅
6−3
1、ジャヴァ方面。一日三方面よりジャバ島へ上陸成功
スラバヤ市は蘭軍自爆し退却
主都バタビヤ市は東西より攻撃を受け市内に大掠奪勃発のため白人はバンドン要塞に退却し五日后九時仝市は無血占領
ジャヴァ島人口四千二百万人 バタビヤ市五十三万人なりと
1、五日南鳥島へ敵飛三十機来襲、日本人死傷八人
日本領土の空襲を受けたるは初めて故。記録に値ひす
1、日米外交官交換帰国協議成立との噂さあり
1、伯国内情勢
伯国内在留日本人は
聖市郊外野菜作り日本人は価格公定のため破産する者多しと
日独伊人に対する拘束は稍々緩和の状あり
実棉に相場無し。籾は1:1弐拾五〔ミルレース〕位なるも六月には拾〔ミルレース〕台に下落するならんと。理由はリオ米輸出不能のため
10−3
今日は陸軍記念日。日比谷公園に於て東條首相声明
△大東亜戦争は本日を以て完了す
△皇国の興廃は今後の段階に懸る
△糧食はラングーン、サイゴンより其他の諸物資も共栄圏内に於て漸次充実せらるるを以て国民は意を強ふして可なり
十二日臨時議会開催。仝日全国的に祝祭執行。
1、九日午後三時蘭印全面的に降伏
捕虜英蘭米兵五千人。土民兵九万三千人
1、八日午前十時ラングーン市陥落
ビルマ義勇軍。打倒英軍を決議して奥地へ進撃
1、英国の危機は八月ならんと軍部の談話
之れは米国にも適用せらるべし
陸軍総合戦果(香港以来。ジャヴァを除く)
十二月廿五日 香港降伏 一月二日 マニラ市占領
二月十五日 シンガポール降伏 三月五日 バタビヤ市占領
三月八日 ラングーン市占領 三月九日 全蘭印降伏
飛行機撃墜1182、船舶撃沈134、 (以下戦利品)
飛行機21、戦車592、火砲1144、機関銃46321、小銃87707、自動車16543、貨車3110、船舶767、
捕虜十一万九千二十八人、遺棄死体七万九千九百九十九人、マレー半島シンガポール攻略日本軍戦死者三千二百八十二人。
海軍総合戦果(小遭遇戦は省略)
十二月八日 布哇海戦 (米)戦闘艦九、母艦一以下沈或大破
十二月十日 マレー沖海戦 (英)戦艦二、母艦一撃沈
一月十二日 フィリッピン沖海戦 (米)母艦一 巡二撃沈
一月二十七日 エンダン沖海戦
二月二日 マーシャル沖海戦
二月四日 ジャヴァ沖海戦 (連)巡艦以下九隻撃沈
二月二十日 ロンボク水道海戦 (米)巡二以下七隻撃沈
二月廿一日 ニューギネア沖海戦 (米)戦一母艦一大破
二月廿四日 大鳥島沖海戦 (米)巡二以下三隻大破
二月廿七日 スラバヤ沖海戦 (連)巡大以下廿三隻撃沈
17−Março
1、印度方面(十六日大本営発表)
日本潜水艦は左の如く戦果を挙ぐ(印度洋に於ける初収穫)
コロンボ沖三艘、マドロス沖四艘。ラングーン沖三艘。計八万三千
以上は大半武装せるもの其他総べて英国商船なり
1、欧州方面
英機巴里空襲一千名死傷
トルコ国土を国籍不明の飛行機空襲
ポルトガル首相、暗殺未遂。英国の策動と判明
1、大西洋方面
米船クインメリー号(八万
日本海軍に備へ英米海軍マダガスカル島包囲中と之れは事実か
1、太平洋及び南洋方面
修収期準備期と見へて戦果の記すべきものなし
1、伯国内情勢
一時緩和を見たる在留日、独、伊人。特に日本人に対し急に厳重なる拘束をなすに到れり。其原因に就ては未だ明確ならず
△日本人に対し郡外の移動絶対禁止
△日、独、伊、人に対し資金凍結準令
△仝上強制貯金令
△日本人に対する拘束は。帰化人、日系伯人、にも適用
18−3−1942
今回日本人にだけ禁足令が発せられたので一寸不安に感じて居たが其後「機関銃が数千台ノロエステ線日本人間に隠蔽されて居る」「日伯交戦の際内応すべく
又元日本人会長であつた人とか、在伯日本在郷将校とか仏教布教師等は一応警察署に召喚され尋問を受けつつある。其内不穏なる言動ある人々は聖市移民収用所に収監されて居るとの噂であるが之れは事実らしい。
召喚憲兵大尉とかが大言壮語したとかで市井の日本人親分肌の人々を喜ばせて居るが。其為めに伯国官憲の疑惑を増強するなどは吾人の執らざるところである。
結局日本移民中に在郷軍人の多いと云ふことが伯国当局をして特に日本人だけに禁足令を発して家宅捜索等を強行した原因らしい。
家宅捜索の就ては頻々と悲劇が伝へられるが其責任の一半は日本人側にもあると思ふ。
斯く事情が判明して見ると其処置は当然であり。此際日本人は特に謹慎して其の他意無きことを諒解せしむべく努力する外に策は無い
アラサツーバ市日本人会関係者で召喚尋問された人々は最近では勝田氏、安瀬氏、三隅氏、等
知人中で検束されて居るとの噂さのある人々は、多羅間氏、農田氏、輪湖氏、等
チエテ移住地は特に圧迫を受けて居るらしく公職に在し人々及び在郷軍人は全部召喚訊問、重きは収監されて居る様子である。
禁足令に対するエピソードを一二挙ぐれば。日系伯人即ち第二世も禁足を喰ったことで其抗議に対し「猿の子は矢張り猿だ」と警察で一蹴したとのことでインテリ級には再移住説が急に勃興して来た。又帰化人安瀬氏も此抗
帰化した安瀬氏が日本人代表として二千六百年祭祝典に参加したのが大なる矛盾で。其節民間には物議があった。オエラ方のすることも穴だらけ況んや庶民をや。
次の圧迫問題は資金凍結制限令である。之れは伯国商船の爆沈に起因するとのことで。枢軸国側在伯人から今後所得の一割乃至三割を強制貯金せしめ他日母国が賠償を肯んじない場合には没収すると云ふ如くである。賠償問題は別として強制貯金に苦情は云ふべきでない。其他細々した圧迫の裡にも農民に対し寛大であることは伯国首脳部の頭の良さが察せられる
三月十日 大東亜戦終結宣言以来。特に目に立つ戦況も無い。今後二、三ヶ月は占領地の整頓と次に来るべき世界戦に対する物資の蓄積に全力を集注されるものらしい。我等の憶説を記して後の話題とする
三、四、五月中にビルマ、印度、方面の整備、
六月中に濠洲攻略開始、重慶占領、
七月中にケーブダウン攻略完成
八月中に濠洲攻略完成、支那方面平和来、
八月に英米側より平和会議開催の申込あるならんと説をなす人あれども。米国に内乱勃興せざる限り平和成立の見込なしと私は観測する
ブラジルの日本移民圧迫は現在以上深酷になるべきだと思ふ。斯く覚悟して居れば後悔はない
20−3−1942
珍らしく安田氏が来訪された。用件は伯語通信教授応募の件である。伯国永住者には適切なる施設であるから出来るだけの応援をなすことを承諾した。
序に仝氏を永住者と見て左の一言を呈した。
現在迠の日本移民は功罪相半して居る
大功は日本農民の勤勉によって伯国農業の啓発されたことである
大罪は指導者が日本農民の土地欲に乗じて地価を暴騰せしめたことである
此ために伯国農民は生活難に陥つて居る。日系農民と雖も土地代支払或は借地料の高価のために七転八倒。産を成すものは百人中一、二人で残部は牛馬の如く全家族が奮闘を継続して居るだけだ
現在無智なる伯国農民は単に自己の努力の足らざるを思つて諦めて居るが。平和克服十ヶ年後には必らずや土地法其他により民間から排日が起るで
現住地の伯人労働者は私達の使用人として二ヶ年を経過し。今年は自作した者もあるが。米作も棉作も日本人に劣らない腕になつて来た。只日本人は現在の農法に満足してる訳ではないから。今後も伯人農民をリードして行くでは
事の序に私がアリアンサ移住地現地理事を辞職した真相を
29.3.1942
大変なケンマクで家中荒したが不審な物は一物も無く凶器として竹刀一、手斧一、鎌一を没収して(包丁は錆びて居たので没収して居たのを捨てた)最後に昨日私が乗合自働車で読んで居た印刷物を出せと云ふ。幸ひにも捨てずに居たので本箱から取出して渡すと。コレダコレダと鬼の頸でも取つた様に丁重に懐中して引上げた。
後刻近隣相寄つて話して見ると日本人全部が乱暴な家宅捜索を受けた
数日後に判然したことだが此無謀な家宅捜索を実行した誘因は全く私にあつたので隣り近所に迷惑をかけたのは気の毒ではあつたが。常々私利のために日本人間の円満や団結を緩怠にして居た人々が。伯人間にも憎まれて居て特に乱暴されたので。期せずして一致団結の空気を醸成したのは拾いものであつたとも云へる
昨廿八日午后私はアラサツーバ市から帰途にあつたが。
之れを狐疑深き一伯人が曲解して「日本人田口が潜行運動のために日本人集団地に出張し序に其奥地への策動を橋浦に依頼するためパンフレットを渡した」と警察に密告した。そのために仝夜田口氏は収監され。私達は翌日家宅捜索を受けた次第である。之れは全く密告伯人にの無智による災難で。安田氏の斡旋で。私から没収した口絵は直ちに警察に提出され田口氏は解放。私は召喚を受けずにすんだ。然し私が其口絵を焼棄して居たら田口氏も私も収監拷問を受けて居たで
30.3.1942
昨日の不法家宅捜索に就て対策を講ずべく考へて見たが。自分から進んで斡旋することは気が進まなかったので形勢を観望して居た。夕頃小山氏来山。仝氏の意見に任せ。私の宅前で家長全部集合。明日警察署に出頭。没収農具の返還に就て陳情することに決し。其代表として私の外に早野、佐藤、平山、三氏が出市することに申合せ解散
1.4.1942
昨日から和田氏一人で警察署に往復して居たが漸く今朝署長から「インスペトールを調べておくから四月四日に再出頭せよ」との返事で雲行は可なりであるが。今日は天下御免の嘘つき日であるから
本日安田氏に面談。既述の口絵事件が明瞭になった。山の伯人労働者間には私を予備大尉だとして注目してることも知れた。
不審のかかる書類は一切整理した積りだが尚ホ一層の整理が必要だ。軍記録、伯国地図、勲章、軍装写真、日記録、等は一応収容調査する
アラサツーバ市在住の有力日本人商工業者間には伯人の強請乞食が横行し営業を妨害される
3.4.1942
本日はキリスト受難日で。伯人間には窃盗御免の習慣があるからとて古顔連が殺気立って居るので。近隣相互に警戒して居たが。夜に入って各所に鶏盗人ありと一犬虚に吠ゆるや。空缶を叩き、ホイセを振り舞して大騒ぎとなる。幸ひに私宅には盗人近寄りざりしも。隣家の求援の叫びに鉄棒を下げて自分だけ出張す。途次五人の伯人に逢ひ彼等両側に避けたる故。遠慮せず中間を通過す。別に険悪なる状態にも接せず。諸人の興奮も鎮静せる故解散帰宅
4.4.1942
警察署にて裁断の日故。全家長乗合自動車にてA市に出づ。途次昨夜の盗人話に興奮し大声日本語にて談話せるに対し。一伯人大声悪罵A市着直ちに署に告訴せるため武装の警官数名。小山宅及森ホテルに出張。居合せたる七名を拘引。自分等三名だけは拘引されざりし故詳細は知れざりしも抗弁のため和田氏は数回殴打された
此事件と混線して不法家宅捜索と相殺され。双方に署長の訓戒があって退散。結局和田氏が下僚に叩かれただけ気の毒であったが。没収農機具は返還されることになり家宅捜索が不法であつた事は明瞭にされた。
夕頃事件落着せる故。今後の処置を簡単に申合せ自動車を雇つて夜に入り帰宅。
仝夜半。平山氏宅に泥酔伯人潜入につき盗人として捕縛、インスペトールに引渡す
以上によって当耕地の日本人の威信は保持されるものと思ふ
15.4.1942
一時日伯人間が尖鋭化して居た私達耕地も此頃に到り大ひに緩和された
山の伯人位の智恵で日本人の弱点を補捉は出来ぬから軽挙してはならぬと署長から下僚に対し訓示があったとのことだ
禁足令も緩和されたので各日本人集団地の情報もボツボツ耳に入ることになつた
人違ひでサンパウロ収容所に収監されて居た高橋某氏が釈放されて帰って来ての話に
多羅間氏は収監当時ヨウに悩まされ皆で介抱して居たが病院に回送されたらしい。輪湖氏はチエテ組と囲碁に余念なしと云ふ状態で。概して日本人は微苦笑的、独逸人は科学的で伊太利人のみ事毎に興奮してるとのこと。平日は合唱、合奏、ダンス等自由に振舞って居るが北米大使視察の際だけは謹慎する様注意があるとのことだ。
バルパライゾ郡管内では家宅捜索の際。最初の家が拳銃を隠匿して居たのを拷問に堪へずして遂に山林中から持出して来たので。爾後武器を持たざる人々も一列に拷問を受け半死半生遂に二名の死者を出すに到り。地主の伯人から抗議が出て殺した警官を個人の失態として
チエテ郡管内は殊に日本人圧迫が悪質で捜索手数料と云った様な科料を要求し不納者は収監すると云ふ風で毎日数十名の収監者で賑って居たが。最近イデアル日本人集団地の土地売伯人が日本人を擁護した態度に興奮した一名の警官が其伯人を銃殺したので其場を去らせず子分の伯人達が警官を袋叩きにし鎖で縛って警察署に担ぎ込み厳談。結局中央裁判所から取調べのため出張するまで其警官は四ツ辻に鎖付の侭サラシモノにされて居ると・・・・・此御陰で収監中の日本人は全部釈放されたとは流石は大陸伯国である
18.4.1942
追々と身辺が危険になって来たので。其場合の訊問に対し「移民日本人としての覚悟」を徹底せしむるため。家族に下の条項により訓話
1、
21.4.1942
金融制限令切抜策のために出荷綿を全部地主(伯人ジョン,ガラセイス)名義にて売込むことに決定した。本日我家の実綿初荷50アローバを搬出した。
先月15〔ミルレース〕で1000アローバ程先売の予定であったが会社の方で商談を中止したので契約しなかった。昨今の市場は好況で十六〔ミルレース〕以上になるらしい。
我家の実綿収穫予想千二百アローバ平均十五〔ミルレース〕正味手取になれば総べての借金が皆済の見込。
一アローバは十五キログラム。一アルケール即ち二町五反歩に百五十アローバ収穫見込である
4.5.1942
我家は今年改めて借地契約をしたので住宅を新築し井戸を
本日ホテル前川氏老夫婦が綿採収の応援に来て呉れた。之れで漸く毎日廿五アローバ十日目毎に一台は出荷出来ると思ふ
8.5.1942
本日第二回の実綿出荷、但し第一回と仝様早野氏と協同で一台にして出荷した。
地主との出荷計画は、出荷綿1アローバに対して3.$600を仮受けすること、六月中に仕切れば可なること、仕切金は地主対経営者小山氏の貸借関係を皆済せる上は全部現金にて交付するとあるので。小作人に同情ある契約である。
本日久振りで日本から快ニユース来る
五月六、七、八日の三日間に亘るニユーギニア東南九四浬の地点に於ける北米艦隊との海戦に於て
敵損害 航空母艦 三万
戦艦三万噸級1、沈 1大破
巡洋艦一万噸級2沈、駆逐艦1沈
撃墜飛行機80等
我損害 航空母艦一万噸級1沈
飛行機31、
日本側としては今日迄の海戦中最大の損害であるが。北米側としても堂々たる海戦としての成績であるから日本海軍の優秀を是認したで
1.6.1942
今年は驟雨多く綿花のがくが腐つて居るので採収が困難である。今年は蟲害少かりしため綿花は充実し、昨年に比し一箇の重量としては三割以上増して居ると一般に認めて居るが一日の採収量は一人前4アローバ位で昨年の5アローバに劣つて居るので、本日から採収賃を2.$500に上げた。
今日から伊系伯人夫婦と娘三人が綿採収に来て呉れることになつた。五ヶ年程日本農人と隣り合つて居た由で日本語を一通りシャベる。新流行愛国行進曲からモシモシ亀よの古い唱歌まで顔負けする程巧みに歌ふ。採収の能率は良い方ではないが。朗らかだから非常時其処のけである
伯国内でも伊系独系の婦人は日本婦人同様に野良仕事に出る。私達が渡伯した十五年前には。日本婦人の労働するのを見て黒人まで野蛮視して居たが。此頃は冷笑しない様になつた。
今年の実綿相場は現在アローバ二十〔ミルレース〕で昨年に比し殆んど倍額になつて居るが一面の伯貨の低落を意味してるので不安でもある、然し自分達の様に借金して労働してる者のためには世直しの神業と感謝して農業に精進する一途あるのみだ
3.6.1942
今朝老人仕事に玉葱苗を移植すべく地均しをして戻ると倒木のウロにジヤタヰーと云ふ
7.6.1942
実綿五十俵約二百アローバとアラサツーバ市のマタラゾ精綿会社に搬入すべく荷物自動車で運ぶ。之れは十九〔ミルレース〕五百レースで四百アローバ先売してある残部である。
六月一日からガソリン配給令が実施になつたので自動車の往来が少々さびれた様だが近き将来には木炭瓦斯を利用することになるで
金融制限令の声に驚き、反つて円滑を欠ぎ。実綿の取引が活発となるに従ひ銀行は出るばかりで入りが少いから当アラサツーバ市でも去ル四日から日独伊人に対して現金支払を一時制限することになつた。然し農民は現金を出さぬ会社には綿を売らないから一種の暗取引が行はれる、結局諸会社の陳情により。本日正午から農民出荷の農産物売却金なることを確証する小切手は無制限に商業銀行で支払ふことに決定したとの話である、即ち日本人の綿作に於ける威力であり又信頼でもある
8.6.1942
一昨六日久振りに東西両翼に活躍するところの日本ニユースがあつたが今朝のニユースで其真相が明瞭になつた
1、マダカスカル島の英艦隊を奇襲して戦艦1、外2撃沈
1、シドニー港奇襲北米大巡洋艦1、外2撃沈
以上には我特種潜行艇の犠牲があるらしい
1、ミツドウエー島攻撃には敵航空母艦二隻戦艦一隻其他を撃沈したが我軍にも航空母艦一隻巡洋艦一隻の損害があつたらしい
1、アラスカ方面にも空襲を敢行したらしいが経過不明、
1、東京湾其外其他の沿海で米潜水艦四隻撃沈、大東亜戦以来敵潜水艦撃沈数八十三隻なりと、
以上は五月三十一日以来の新行動による戦果であるが
△大東亜戦以来の陸軍綜合戦果が発表された、其主なるものを摘録する
1、支那方面抗戦兵力百五十三万人、遺棄死体十一万二千四百人 捕虜四万四千人
1、南洋方面抗戦兵力五十万五千人、捕虜三十二万四千人.
1、主なる分捕品、火砲3763、重軽機関銃11548、戦車1440、自動車31589、
汽車計12200、小銃216714 飛行機(捕)240(撃)1636、
船舶48隻117000
撃沈艦艇、砲1、潜1、水雷1、
大破艦艇、巡1、砲3、駆3、潜2、水5、運41
我軍損害。戦死9174、負傷20720、飛行機348 輸送船31隻16万噸
目下我軍は重慶の包囲を完了漸次圧縮しつつある如くであるが前述の抗戦兵力を観ても容易ならざる強敵であることが察しられる
先週ゼツリオ大統領が自動車の衝突によって負傷し、又其衝突を故意と断じて報復手段としてアランニヤ外相をピストルで狙撃した志士があつた事は確実らしい。其後大統領の予後不良、又北米空軍の来伯により伯国の制空権は北米軍に掌握され居るとか。北パラナ方面には革命勃発の徴ありとか物情騒然たるものがある
体験は無いが日本の維新当時と彷彿たるものがあり、其当時の農民の心境を味覚し得たりと観ずる
16.6.1942
去ル五日から十日まで六日間降続いた時雨模様には閉口した。此季節にこんな長雨が降るのは珍らしい。
今年は実綿1200アローバ収穫の予想であつたが使用人運が悪くて今日迠漸く600アローバの採収で初回の採収が完了せない有様である。漸く長雨が止んで三日間採収したが又々今晩から時雨が来た。困つたものだ。綿の品質は悪くなるし。重量は減るし。採収が困難になるので何一つ可いことはない。
今回英米蘓三国間に軍事同盟が成立したので伯国の枢軸側圧迫は一層増だ
一昨日小山氏が宇治野氏を同道して来山。本日は終日将碁の相手やら酒の相手を仰仕つた。
午後兵士、巡査、等数名自働車で乗込んで小山氏に同行を求め引上げた。一時ビックリしたが後での話に昨晩小山氏が為氏宅で一杯機嫌のところへ伯人労働者が乗込んで喧呵になったらしい。日本人圧迫の折柄だからチョットでも引掛りがあると収監材料となる。後日の話だが今後伯人を塸打すると二ヶ月収監すると説諭の上。自働車賃を払はされて事落着となつたと
19.6.1942
引続き時雨模様で綿摘みが出来ぬので玉葱トマト、花甘蔗、甘蔗、アスパラカス等の移植をなし豚の去勢をした
先日向脛に負傷したが骨に達する深さで治癒までには二三週間以上を要するらしい
午后二時古庄君の自働車がアラサツーバ市に帰ると云ふので便乗したが「ポチガラ」の手前で故障出来。日没まで手入したが遂に動かず通りがかりの綿積自動車に乗して貰つたが之又ポチガラ先方の低地で故障出来。午后九時月明を幸ひに意を決して10キロの道をアラサツーバ市まで徒歩。足の傷の痛みも緊張のためにや左程苦にならず約一時間半で市に着、前川ホテル宿
20.6.1942
昨夜俄かに晴れた後が一層寒くなつたので霧になるだ
私達綿作者は被害の少い方であるが採収手後れの我家では少くも3:000$の被害である
手塩にかけて居たトマト、ケヤボ、サヤ菜豆、茄子、草梅、瓜類は全滅。マモン、バナナ、バカシ、等は発育停止。小麦は花盛りなりしため被害大であつた
旭日の出るまでに水をかけて霜を溶かして置けば被害少しとの説も聞いて居たが実験の結果駄目と云ふことであつた。
渡伯当時は寒冷の季節になると母国情緒が忍べると嬉しがつたものだが此頃は意気地なく寒さにふるへることになつた
22.6.1942
ガソリン不足のため交通の便が渋滞勝で困つたものだ。日本ならば斯くなるまでに新交通方策を案出して、之れに備ふるのだがブラジルは相変らずアマニヤン式である。慣るれば此式も案外よろしいと思ふ
然し理想の生活ではない
ジャルジネーロもカメニオン便も無いので止むなく滞宿中、宇治野氏の勧めがあつたので。仝家用荷馬車に便乗して訪問することにした。アラサツーバ市中心から西南約10kmの地点で本街道からの遠望の感じとは全く反対に。仝氏耕地は勿論。近郊多くは整頓された牧場で爽快の気を満喫することが出来た。
仝氏は[空白]年の渡伯で1925年頃カフエの大量栽培で失敗。現住地は[空白]年前からの定住で80アルケールの内牧場
アルケール 雑作地 アルケール 山林
池には鯉が居り牛馬も優良種と交配中で理想的生活である。
長子氏は乗馬術に長じ牛馬の審査にも一見識を持つて居られることは兼ねて聞いて居たが小妹達まで牛馬の扱ひ方は手に入つたものである。奥様の良妻賢母振りは世評通りで。何一つとしてそつが無く総べてが暗示的存在である
鶏肉のすき焼、カラスミ等の珍品の御馳走に預つて翌朝辞してA市に帰る
2.7.1942
去る六月廿七日に実綿100アローバ程出荷し白米、砂糖、メリケン粉、塩等を買入れて帰山したので食糧中不足の物は豚脂だけである之れも数日中に肥育中の大豚を屠殺するので先々一安心と思つて居たが今朝不幸にも雇用伯人労働者の住宅が失火して。綿採収に一頓挫を来した。
其上に失火した伯人が所持品を焼失して路頭に迷ふと云ふ理由で二百〔ミルレース〕を要求し警察沙汰にすると脅迫の態度に出たには呆れた。
私は如何程費用嵩むとも一応警察沙汰にするを可としたが。当耕地の監督和田氏が穏便の処置を可とすとの意見で勝治君が之れに賛成なので。私は一切此件に関係せぬことにした。結局火元伯人150〔ミルレース〕、類焼伯人に300〔ミルレース〕給与することで落着したが。火元人に賠償的給与をせねばならぬ様な耕地で仕事するのは不愉快である
兎に角之れを契機として小山氏との妥協交際を一掃すべきである。それから新らしく出発すべきだ。
15.7.1942
去ル十一日高橋へ実綿22俵82アローバ出荷。
今日から私用のため自家備付の客用自動車の運転出来ぬことになつた
今月一日から此耕地をビショ[編者注 動物をモチーフにした賭け事]勧誘員が毎朝廻ることになつた。おつきあいに一二〔ミルレース〕宛掛けて居るが。之れは晩酌一杯と云ふ気持で当分続ける考である。
勿論賭事に興味を持つことは邪道であるが。社会に存在する以上。簡単に一蹴し去ることは出来ぬ。将来再移住の場合は矢張或期間拓農的生活をせねばならぬから此等の娯楽を如何に利用すべきか研究の価値ありと思ふ
21.7.1942
昨日カメニオン便で前川氏が渡司青年と同行で来訪された、表面は農業視察であるが内実は澄江を嫁に希望しての訪問である。兎に角本人同志が理解し合はねば話にならぬので見合と云ふ様な事でなく。先づ知合ひになると云ふことで一日滞在、本日午前中、皆と一緒に綿摘みを手伝ひ、午后幸ひにカメニオン便があつたので辞去された。澄江の感想では可もなし不可もなしと云ふところ、らしい。私の印象としては真面目な青年、講習会仕込の青年であるから、一歩先走りの私の理想を呑込んで貰ふには若干の時日が入用と考へた。
家庭で「大百花」を盛んに弄んで居るのを見て。私を君子人と信じて居る渡司君としては意外らしかつた。殊にビシヨ[編者注 動物をモチーフにした賭け事]に到つては其目的の如何に拘はらず邪道である。所謂「朱に交はれば赤くなる」と云ふことは橋浦さんと雖も免れぬものかと悲観したで
兎に角青年渡司君に対しては気の毒であつたが偽善的行為は好まないから平日通りに振舞つた
然し真面目な青年を誤ってはならぬと考へて。花骨牌を家庭遊戯に採用する所以を気軽に話し合つた。
家庭遊戯の必要なことは今代人に異論は無い。
智識階級は和歌俳句、囲碁を上品として推奨するで
弄花は、理解し易く、競技にはチャンスあり智力を要し又運も大ひに関係するので興味満点である。且つ多人数或は少人数夫々遊び方があるのは殊に便である。
此意味からすればトランプも同様であるがトランプは札の性質が階級的に出来て居り、亦麻雀の科学的なるに反し、花札は自然美に配するに年中行事を以てしてあるから日本人としてトランプ、麻雀に優れる家庭遊戯なることは一目瞭然である
序だから遊戯に対する心掛を記して置く
遊戯には真剣(強気)、上品(ユーモア)、三昧(馬鹿)の三要素が必要である。真剣とか上品とかは皆首肯するところだが三昧境とは。茶人が古ぼけた茶碗をひねつて喜んで居る心境である。弄花の瑣事に大の男が喜怒騒然たるは傍人から見れば馬鹿としか見へぬ、此馬鹿にならぬ限り、賭銭せずには弄花に興味は起らぬ
閑話休題として伯国農業を観ずるに日本とは情態が正反対で。米作は投機的で。反つて棉作には努力を要するが又収穫も確実である如く。実に伯国農業は弄花に等しき心構へが必要である。弄花には先づ良い手札を持つと云ふチャンスが必要である、次に如何に戦ふべきか頭脳を練る必要がある、
以上の二要件が完全であつても起札(運)の良否に依つて成功半ば或は全敗に終る場合もある。然し運が悪い場合でも度胸一つで意外の勝利を得ることもあるが。伯国農業は此三要素の裡に在つて度胸で押通すことが肝要である