取消しは取消し線で、原稿升目外などへの追加修正部分は下線付きで表現しました。
「ポツダム憲宣言の第一〇項」とある部分は「ポツダム憲宣言の第一二項」の間違いと思われるため、これを補記しました。
新憲法 芦田均
吾々日本の国民は、無謀な戦争を起して、みじみな敗戦をしたました。そして国民は戦争による深刻な犠牲を受けた不幸な人々が津々浦々に溢れて居るります。この竜巻の中に生きて、人類の行手を考へる者は、誰しも住み甲斐のある世界をどうして造り上げることが出来るかを考へに苦心しない者ハないでありましよう。
吾々が戦争にまけたにのにハ、まけるだけの理由があつたのであるす。現在の苦しい境遇に陥つたのには、それだけの理由が在るのであるす。それならば、今後日本をどういふ方向に導くことがわれらの安住のみよき世界を創り上げる道であるかを、痛切に考へなければならりませぬ。
人間が家を建てるには設計図が必要であるように、国の骨組を造るには憲法といふものが無けれバならりませぬ。現□に吾々は明治二十二年以来憲法をもつてゐたのであるが、その憲法には今日の時代に適合しない箇所があつてた許りでなく、軍閥と称する者が明治憲法の特長を運用して軍閥が専制政治を行つて来たのであるります。実際満洲事変以後の吾々の生活は言論の自由も、信仰の自由も奪ハれて、憲法の保証する自由の権利は有名無実、型なしに押し潰されて了つたのです居りました。
さうかと云つて之に反抗するものは、官憲の力で抑へつけるのであるから、世間は仕方なしに面従服背で、内心は不平でも、外面にハ服従するような形でついて行つたといふのが実状であります。
ところが、終戦と同時に政権を握つてゐた軍閥ハ倒れた。軍閥の圧力が去ると同時に、自由と権利を保証された生活を求める声はが、国内の各方面から挙つて来たのは当然です。それと同時に外部からの力も、憲法改正を実断行する必要を痛感させたのであります。御承知の如くポツダム憲宣言の第一〇項〔第一二項〕には、日本国に民主的責任政府の成立するまで、聯合軍国は占領軍を撤退しないと書いてありますから、吾吾が完全な独立国となるには、是非とも民主的責任政府を樹てなけれバならぬ立場に置かれたのであります。
そういふ訳で幣原内閣は憲法改正案を起草して、三月六日に其要綱を発表しました。今回公布せられた新憲法は、この原案をもとにして衆議院と貴族院が若干の修正を加へたものであります。改正憲法は、名の示す如く明治憲法の改正案でありますが、然しその内容から見ても、法律の然し更に他の観点から見るならば、新憲法は、その内容から見ても、体系から云つても、明治憲法の改正案といふよりは、寧ろ全く新しい憲法草案と見るべきであり、さように解釈しなければ真に憲法の精神を体得することは困難であるります。それ故にこそこの憲法は、新しき平和国家、文化国家の基盤となるにふさはしい姿を備へてゐるとも云ひうるのである。らうりましよう。
憲法改正の必然性
昨年九月、我国が降伏条件に調印した刹那然らば新憲法の特色はどういふ点にあるか。私は大体四つの点を挙げることが出来ると思ふのです。
第一には国の象徴としての天皇の御地位を時代の進運に調子を合せて明確にきめたこと、第二に一切の戦争を放棄するといふ平和的な意思を宣言したこと、第三に国民の権利を大巾に保証する細かい規定を定めたこと、そして第四には、国の政治の運用を□徹底した民主々義によること規定したことであります。この四つの特色について簡単に解説を加へます。
天皇制の存続については、終戦直後諸外国の輿論がかなり強く反対であるかのように伝へられて、国民の関心を高めたのでありましたが、去る四月の総選挙は、日本国民の絶対多数が、天皇制の維持を熱望することを証拠立てたために、海外の輿論も次第に好転して参りまして、新憲法は、万世一系の天皇が国民至高の総意に基き、天壌と共に永く国民を統合する君主としての地位を占められることを明記したのでありまして、この点は議会の絶対多数が大いなる喜を以て迎へたとことであります。
次に戦争の放棄に就ては、吾国再建の旗印として、吾々国民の平和に対する熱望を大胆率直に表明したものでありまして、す。我新憲法の如く全面的に軍備を撤去して、戦争を放棄する意嚮を規定したものは、世界に於て唯一つの例でありまして、今後地球の表面から実の空念仏と化せられて了つた。たのである。戦争を追ひ払つて、恐るべき破壊を救ハんとする理想を掲げて全世界の良心に愬へようとするものであります。
第三に、新憲法が国民の権利義務として第十一条以下に定めた規定は、最も生彩に富んだ極めて近代的な進歩的な条項であります。前に御話した如く軍閥の専制政治の下に於ては、憲法で人権を擁護してあつたと云ひ乍ら、事の実際に於ては、国民は憲兵と特高警察のために、眼を掩ハれ、口を塞がれて、官権が国民の生殺与奪の権を握つて居りました。人間としての尊厳も、個性としての自由権もあつたものでハない。誠に乱暴至極な政治の下に生活してゐたものであります。然るに新憲法ハ一躍して、「日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として」認められると書いてゐる居ります。この権利を保護するために、詳細な条文を掲げて居りますから、今後は国民生活の上に全く新しい自由の天地が開かれる様であります。尤も自由とい教育の機会均等ふ思想にハ常に義務を伴つて居ることハ御承知の通りでありまして、義務を伴ハない自由権ハ一つもないと申して誤りでハありませぬ。
第三四の特色として挙げることは、国の政治の運用を徹底した民主々義政治によると定めたことであります。民主々義政治とは、一言にして申せば、国民の意嚮によつて国の政治の指導者を選ぶといふことであります。米英仏等の民主々義諸国は凡てこの方式によつて居りますが、それ民主政治は君主制でも、大統領制でも共に差支へなく運用できるのであります。
我国に於ては、従来政府万能の思想が強くて人民の力は頗る弱かつた。新憲法でハ国民の代表たる国会の力を強くして「国会ハ国権の最高機関である」と定めて居ります。之を云ひかへると人民のために人民の政府が政治を指導すると云ふことになります。その結果、国会の権限は今迄よりも非常に拡大されました。内閣総理大臣は国会議員の中から国会が指名するといふことになり、内閣々僚の過半数が国会議員でなけれバならぬとも定めて居ります。
かように国会の権限が大きくなればなる程選挙といふことが重要な意味をもつことになります。元来立憲政治といふことは泥の中から有能な政治家を見付けることを眼目標として居るのであつて、それにハ国民の凡てが政治的に醒めることが何より大切であることハ申す迄もありませぬ。
さてかような近代的の憲法が誕生しましたが憲法は一つの法典であつて紙に書いた文字であり、国の骨組立てのを定める青写真にすぎませぬ。この憲法が日本再建の基盤となつて、血が通ひ、肉がつくのでかなけれバ、日本の将来はに期待がもてないといふことになります。誠にこの事業に吾々が成功するかしないかが日本の興亡の岐れる途であると云つて間違いありませぬ誤りないでありましよう。
吾々は新憲法の齎した自由の風に吹かれつつ日本再建のためにあらゆる困難を克服しつつて進歩の道を辿りたいと念願するものでありますじて居ります。(終) |