永代橋 (えいたいばし)
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- 現住所
- 中央区日本橋箱崎町~江東区佐賀
- 解説
- 江戸時代は現在の場所より約100メートルほど上流にあった。創架は元禄9(1696)あるいは同11(1698)年とされ、これ以前は「深川の大渡し」と呼ばれる渡しであった。橋名は古くは島だったことから永代島と呼ばれていた地域に向けて架けられたことに由来するが、5代将軍綱吉の50歳の祝賀を込めたとの説もある。文化4(1807)年には深川八幡の祭礼に向かう混雑で橋桁が落下し、1,500人余りが溺死した。赤穂義士が本所の吉良邸から泉岳寺へ引き上げる時に渡った橋としても有名。
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