神田明神 (かんだみょうじん)
- 別称・通称(よみ)
- 神田神社 (かんだじんじゃ)
- 現住所
- 千代田区外神田
- 解説
- 平将門を合祀すると信じられてきた。もとは天平2(730)年創建とされる古社であるが、江戸城の大拡張に伴い移転され、元和2(1616)年現在地へ移る。2代将軍秀忠により江戸の総鎮守とされ、日本橋川より北東を神田明神、南西を山王権現がそれぞれ氏子とした。9月15日(現在は5月)の例祭は、神田祭と称され江戸三大祭の一つ。華美に流れたため、幕命により天和元(1681)年から山王祭と隔年で本祭を開催することとなった。その豪華な行列は、未明に湯島聖堂隣の桜馬場に集合、外神田、内神田と進み、田安門から城内に入った。将軍の上覧に供された後、竹橋門から出て神田明神旧地を通り常盤橋門を出たところで解散した。
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