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別称・通称(よみ)
新梅屋敷 (しんうめやしき)
現住所
墨田区東向島
解説
文化元(1804)年、骨董商の佐原菊塢さはらきくうが梅やすすきなどの日本古来の草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に造園した庭園。名称は江戸後期の画家酒井抱一が「梅は百花のさきがけ」の意から名付けたとされる。当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれた。現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されている。