千住 (せんじゅ)
- 現住所
- 足立区千住、荒川区南千住
- 解説
- 地名の由来については諸説あり、勝専寺の千手観音にちなむとも、千葉氏が居住したことにちなむとも言う。日光街道(奥州街道)の第一宿であり、江戸四宿の一つ。文禄3(1594)年、荒川(現隅田川)に千住大橋が架橋され、寛永2(1625)年の日光廟造営に伴い交通の要地として発展した。享保年間(1716-36)以降、宿場内の「やっちゃあ場」で毎朝市が開かれ日本橋魚河岸と並んで賑わった。また、川越と江戸を一晩で結び、旅客とともに米麦や薪炭、鮮魚を運んだ川越夜船の中継地として水運で江戸の繁栄を支えた。南岸の小塚原には刑場があり、明和8(1771)年には杉田玄白や前野良沢らが刑死者の腑分けに立会った地として知られる。寛文7(1667)年本所の回向院が、牢死者や刑死者の供養のため回向院を開創した。
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