洲崎 (すざき)
- 現住所
- 品川区東品川
- 解説
- 南品川宿1丁目から目黒川に沿って北東の方角に、岬のように海に突出した洲。もとは
兜島 とよばれた人家のない寄洲 であったが、明暦元(1655)年課せられた伝馬役を拒否した人々が移住させられて南品川漁師町ができた後、天保5(1834)年には同町の地先を埋め立てた南品川新開場(利田 新地)ができた。先端には洲崎弁天堂があり、利田新地・漁師町と品川北本宿を鳥海橋 が結んでいた。なお漁師町は、別名「品川浦」とも呼ばれ、「御菜肴八ヶ浦 」の1つとして、獲った魚を幕府の御膳所へ献上していた。また、江戸の特産物として有名な浅草海苔は、浅草で販売されたことからこの名になったが、ここから南の鮫洲にある海苔採取場で養殖されたものが原料となった。
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