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【1コマ】
弐【2コマ~8コマ】
亜美理駕大合衆国大統領、姓斐謨、名美辣達【9コマ~18コマ右】
亜美理駕大合衆国大統領役相勤候、姓は斐謨、名は美辣、と申候者御通申候、日本国大君主殿下には、平安に被成御座、是は至極尊むべく敬ふべき良友と可申にや、今般別段本国の兵船大臣海軍総将彼理なる者を差出、一組の兵船を引統へ、国書を携へ、貴国の御境迄相越、改て殿下の尊覧へ相備へ候、扨右海軍惣将へ封面にて申付候は、我等心中に、前々より貴国と通好致し度実情を、取次申述候に付、殿下の疎略に不思召を願ふ、今度我両国にて、親友懇交を取結始め度に依り、且は通商の箇条を相定め度存し、此度欽差役彼理に申付、貴国へ罷出、右二ヶ条の儀取捌んため、君主御前へ御通申候、尤吾合衆国規定の仕来には、諸役人異国の政礼抔差越引統候儀、厳く禁制に付、此度明白に此欽差役之者へ申付、貴地在留之節は、貴処人民なる労役擾勲致間敷との事なり、扨当時合衆国の広大なる事は、其東西の辺境は、皆海洋まて相達し、其内西界は、日本国え相対し候、若し火輪船へ打乗り、加理科<口(くちへん)+尓(に)>唖省と申地方を懸離れ、又は呵咲干郡と申地方よりして、大平海を駛て越候へは、昼夜十八日にして、貴国の港口へ到着致すなり、合衆国の一省名を加哩科<口(くちへん)+尓(に)>唖と申は、大国にて産物も多く、毎年黄金を出す事四千万両程の多きにて、白銀水銀宝玉等諸物も、同様に多く出産す、日本も亦同様に富み肥へ、沢山に宝物を出産す、其人物は聡明利発にて、芸能多く候也、此隣接の両地相互に往来は、必す共々に大利益を得ん事疑ひなく、我等固り此訳に付て、交易を開んと存するなり、爰に兼而相心得候は、日本国古来の掟には、只々唐土阿蘭陀国の船は、通商差免され候得共、此両国の外は、一切別国の船港口へ入り候事は許されす候、乍去世間之情態万国の政事も、追々古例を改革致し、新法に取換へ候儀も、多く見当り候なり、其上貴国にて最初古例御取定被成候時分は、亜美理駕はいまた新地毬と名け候位之事にて候ひき、欧羅巴国の人共本地を懸離れ、此地の山々へ入り、住居して土地を開き、耕作植付等致し、彼地在住良久しかりしは、其時分は人民も少く、且は貧敷のひき、只今は繁昌し、交易の儀も、年を逐て盛に諸処へ行はれ候、此等の儀、殿下にも委細御承知被成候事と存候、若し古来の仕来を改められ、我両国の者共が売買を御免とならは、双方共に大利益を得る事ならん、若哉夫とも、君主には只々古例に従はれ、異国船は漫に入津を免されすとならは、是は御国法に照り合せ、先数年ためしに取行ひ給へ、又は五年十年の間に及ふも、差支候儀は有まし、扨篤と利益の有無御承知被成、或は売買とも一向無益に被思召候はは、又候古例に被引戻候ても宜しからん歟、元来本国の外国と約定相立候節は、数年を経候末、若や両国とも志願不致時は、又々新約を取用ひ可申候、さすれば我両国共に、暫時港口を開らき試み候はは、向後如何の模様不成行候も知れ申へし、扨又此欽差役の者へ申付候て、殿前に申上候は、本国の船加理科<口(くちへん)+尓(に)>唖を出帆、唐土へ罷越候者極て多く、将又鯨猟の船も、度々貴国の辺境に近つき候者も有之、此等の諸船は、若哉颶風に出合、撃ち砕かれ、海辺に漂ひ候節、船は打われ候へとも、乗組之者上積荷は別条なき時、我等に於て、此等賤民の性命を懸念致事に候、依足考へ候に、貴国の官吏民人なと、此等の人と船とを見懸候はは、程能安堵撫恤を加へ、恩待して仁慈を施し、人も物も皆保護を蒙り、御留置相成、本国船の来着を待受、連れ帰り候様致度事也、其上本国の民とても、同し人類のことなれは、御垂憐可被下は、君主にも御存なき事のあるへきや、若し此議論まて推慮せされは、心に快然たらさるなり、其上聞及候には、貴国には多く石炭を出産し、食物も沢山なる由、夫故此欽差役之者へしかと申付、御直に言上致させ候は、本国火輪船太平海を渡り、唐土へ往ものは、其石炭を焼候事数万石に及ひ候、乍併其船中には、多く積載せかたく、途中にて所用に引足不申候得共、夫を次立候手立なく候、併本国迠立戻り候事は、殊に不都合に候得は、夫故此諸船に於ては、貴国の港口に入津して、石炭食料を買求て、所用を次立、又は水を汲取候都合の宜敷を求めんとしてなり、其諸物を買ひ候には、或は銀銭にて償ひ、或は諸品を以て取換候ても宜く候、願くは君主御議定の上、南境の港口を一ヶ処被定置、本国の諸船に暫時之内船繁りいたし、此諸調度を買取り、且は食料泉水を取貯へ候様致度候、此儀に可成丈急速に御許を得て、我等が遠望を免めて、快心を得せしめよ、今度此欽差役之者彼理に申付、一組の兵船を引連れ、貴国に相越、江戸と申名京へ往き、我等に代りて拝謁し、我等が大切に思ふは、我両国にて明友の情を設け、貿易の道を開き、本国船をして食料石炭等を買取、且は艱難の人民を保護憐悲し給へと希ふ、以上の諸事を除きて外は、此欽差役の者別に替りたる志意は無之候、又船中には、本国産の巧芸なる布帛数件を積越し候、是を君上へ進呈致し候、御覧に足らぬ粗品なれと、御収納被下、我等が友を思ふ真実恭敬の験を御承知被下度候、偏に希ふは、全能具備の真神、君主を保護して、万福を受させ、聖顧を感し給へ哉【18コマ左~22コマ右】
亜美理駕大合衆国欽差大臣、兼管本国師船、天竺中国日本等海水師提督大臣彼理、為申陳事切、本欽差現奉本国大統領欽差全権便宜行事、坐領一帮師船、来日本国境、呈求大皇帝殿下、請議両国和睦之条約、奉上吾君主公書并本欽差勅書、此二書現己鈔写英字呵<口(くちへん)+蘭(らん)>字漢字等書、録呈御覧、惟此二書之正稿、理合固封、候召見之日、面呈大皇帝備閲、並特奉面諭、転告吾君主覚思於陛下慰和之意故、因吾君主久聞合衆之民自心要投貴地、或被狂風漂至海辺、該民等被貴処官民見之如仇敵、故吾君主心甚憂慮、今指数年前有三船、名叫嗎唎<口(くちへん)+進(しん)>、<口(くちへん)+辣(らつ)><口(くちへん)+都(と)>咖、<口(くちへん)+辣(らつ)>嗹吐等人船、漂到海辺、皆受許多委曲等由、本欽差奉諭面陳殿下、並請兪允定約、嗣後遇有合衆国人船漂至海辺、或被狂風吹進港口、不得以仇敵待之、且有貴国之船或遇風壊抑、漂流本国口岸者、常多資助回籍、況西国於本国官民都知人倫爺蘇之道、皆可保船壊人亡者、此等之事亦求鑑察、且本国与欧羅巴各国、無結連之盟、而本国律例、各官不管本民之教、何況能乱別国之政乎、先三百余年、欧羅巴初到貴地之時、入住本山墾土、迨今立大邦、在日本欧羅巴之中、東西連海、欧羅巴人早住在東、如今民生満地、流沿至西辺、正対日本、如坐火輪船、渡平海、十八日或二十日、能抵貴境現在天下貿易年々繁盛、而貴国海口船亦甚多、倘若貴官民不把合衆之民当仇敵者、吾君主要与大皇帝両国立定和約、況貴国初設律例、禁洋船進港口之時、是智政明戒、今我両国隣近、予先往来甚易、現今時世不同、不能依智政照古例之戒、本欽差思念、陛下亦覧知現在之大概情形、順此誠寔立定和約、則両国免起衅端、故先坐領四小船、来近貴京、而達知其和意、本国尚有数号大師船、特命駛来、未到日、盻陛下允準、如若不和、来年大帮兵船必要駛来、現望、大皇帝議定各条約之後、別無緊要事務、大師船亦不来、且有吾君主和理之公書、候指定何日、面呈御覧明鑑、大皇帝九五至尊、福寿無疆、須至陳告者【22コマ左~28コマ右】
亜美理駕大合衆国欽差大臣、兼管本国師船、天竺唐土日本等海水提督大臣彼理、大切之事を申述るため、本欽差役之者、本国大統領欽差の申付を受け、諸事取計致し、一組の軍船を率ひ、日本国の境へ渡来致是、大皇帝殿下へ書翰を差上、両国の和睦条約を申述候、依之本国主之書翰并本欽差役之書翰、此二書は別に写取、英国字阿蘭陀字漢文にて相認、入御覧候、右二書の本書は、封印にて、大皇帝え御目通り之節を待て、入御覧可申候、且吾国主の前にて被申付候、吾国主より陛下御安心思召候様にと、思慮致候故は、吾国主兼て久敷及承候は、吾国の人民自分より思ひ付、貴国へ罷出候者共、或は大風に遇ひ漂流致し、貴国の海岸に着致候人民共、貴国の御役人百姓共、我人民を仇敵の如く取扱被致候に付、吾国主甚心配被致候、只今より数年前、船三艘名は叫嗎唎<口(くちへん)+進(しん)>、<口(くちへん)+辣(らつ)><口(くちへん)+都(と)>咖、<口(くちへん)+辣(らつ)>嗹吐等と呼候人船、貴国海辺へ漂着の節、彼是御取扱の委細を承知致し、本欽差役主命を受け、殿下へ申述、御許容を願ひ、和約御承知の上は、吾国人船貴国海辺へ漂流致し、或は暴風に吹流され、湊口へ着候ても、仇敵の如く御取扱無之様致度候、且又貴国の人民吾国へ漂流致候はは、船中入用之品助力致し、貴国へ御返し申候、まして西国欧羅巴の国にては、吾国の官民を取扱候は、総て人倫爺蘇の道を心得候故、船の壊れ人の死亡は、相救候事に御座候、是等も御鑑察可被下候、且吾国は、欧羅巴諸国と懇意盟約之国には無之候得共、吾国の法度は、夫々の諸役人は政事を取扱候て、本国人民の教には拘はり不申候、まして他国の政を乱し候儀は無之候、吾国之儀は、是より前三百余年、欧羅巴初て貴国に渡来の頃より、吾国に来り住し、土地を開き、只今に及ては大邦に相成、日本欧羅巴の間にありて、東西海に連り、欧羅巴人は、早く東方に住居致し、今に而は人民繁育し、国の西界に至り、日本へ相対し候ゆへ、火輪船に乗り、泰平海を渡り候へは、十八日廿日には、貴国の境に至申候、当時天下一統交易の道年々繁昌致し、貴国にても、湊には船多く相見申候、貴国之役人衆吾国の人民を、仇敵の御扱に不被成様にと、国主より大皇帝と両国の和約を定め、御懇意致度存候、昔貴国初て御法度を設けられ、異国船湊口に入候事を、御禁制被成候物候は、善政明戒に候へとも、只今相成候ては、吾国と両国近隣に相成り、往来容易に御座候は、昔と今と時勢同しからす、御善政にても、古例之御掟に準すへからさる儀に候、本欽差相考候には、陛下も定て当時の大概情形を御考察被成候而、此理に従ひ、真実に和約を取極候得は、両国兵端に引起し候事無之と存候、依之四艘の小船を率ひ、御府内近海に渡来致し、和約の趣意御通達申候、本国此外に数艘の大軍船有之候間、早速渡来可致候間、右着船無之以前に、陛下御許容被下候様仕度候、もし和約之儀御承知無御座候はは、来年大軍船を取揃ひ、早速渡来可致候、右に付、只今大皇帝之御評議相願申候、御承知被下候而、右等条約取極候後は、外に大切之用事無之、大軍船渡来不致候、且又吾国主和約規定の書翰持参致候、是は幾日と御指図を受け、御目通之節、御直に入御覧可申候、願くは大皇帝貴重之御尊体、御福寿御限り無御座様存候、是等皆御府内に至り可申述候【28コマ左~29コマ】
亜美理駕大合衆国大統領、姓斐謨、名美辣達【30コマ~31コマ】
亜美理駕大合衆国大統領、姓斐謨、名は美辣、申述候、日本国大君主殿下、弥御平安被成御座候儀と存候、此度我等心中の事、水師提督彼理へ申付置候、此者儀は、見識端正にて才能有之候家来に付、此度別段に欽差役申付、諸事取扱致させ、大合衆国惣名代として、 貴国へ差遣候間、大君主より御差出被成候御用掛り之御家来と相談致し、両国の和睦通商を固く取極め候為に、船を馳て湊口へ著岸為致候、且右等の条約規定并大切用向之儀は、皆取扱の役人共双方熟取極め候後に、欽役彼理より即刻に申越候得は、我等諸大臣と評議治定致し、承知之旨書面を以て申進候【32コマ~33コマ右】
亜美駕大合衆国欽差大臣、兼管本国師船、現留泊日本海水師提督彼理、為申陳事、奉本国【33コマ左~34コマ右】
亜美理駕大合衆国欽差大臣、兼管本国師船、現留泊日本海水師提督彼理、主国の君之為めに一事を申述候、今度本国大君の御仰付をささけ、予に見計ひ、模様に従ひ、程能其事を取扱ひ、仲違なき様に熟談致し、向後の規定を取立、必す日本の大臣に同しく熟談いたし、此後何日何月頃京師へ来り、大皇帝に御目見致し、亜美理駕主公之書状并勅書之稿紙両通を持来り、謹て日本国主之御覧に呈し、大臣に被申付、早く日限を取極め、互に評議明白にすへし、敬て爰より能挨拶を待つなり【34コマ左~35コマ右】
敬啓者、今送来公書一封内、許多重大緊要之事、乃連及貴国故、要謹慎商量而定、希貴国大臣等、諒必議擬長久各条、本欽差甘心俟来年春季、帯各船、来江戸海、候回音、然後全望能便立約、我両国永久和睦也、特此布啓、順候日喜【35コマ左~36コマ】
敬而致啓上候、此度持来り候公書一封、其内様々重き大切之儀を謹て申述、其事当御国之事にも連り及申候に付、能々御用心御手落の無之様、篤と御分別可被成候、希は当御国之重き御役人中、諒に必らす国家長久之ヶ条御評議可有之事と存候、爰元用掛り出役之者、十分に落付て、来年三月頃を待て、夫々之船を連れて、江戸の海に乗込、右之御返簡を請取可申候、其後全く抜目なく約束を立て、当国と我国と永久之和睦可致候、爰に申述候間、後日の能き御返事を相待申候也、