金沢藩士。前田慶寧の側近となり、文久3(1863)年慶寧とともに上洛し征長の中止運動に尽力。元治元(1864)年禁門の変が起こると、退京した慶寧の名代として上京し仙洞御所の警備にあたった。慶応元(1865)年家老職となる。戊辰の役では北越地方追討を命ぜられ、長岡城を攻略し、奥羽各地に転戦した。明治2(1869)年金沢藩少参事となり、次いで権大参事となるが、間もなく職を辞す。33年男爵。