解説
父は和歌山藩士。明治9(1876)年和歌山県御用掛。13年和歌山日々新聞主幹となる。19年逓信省通信局に任じられ、逓信吏員の養成に尽し、東京郵便電信学校の設立に寄与した。26年逓信省退官後、全国の鉄道と日本沿岸港湾の視察・調査を志す。34年に日露直接貿易の必要性を唱え、露国公使と日露貿易に関する覚書を交わしロシアに赴いた。日本海航運の拡大など交通通信事業の発展と日露貿易の振興に務め、内国生命保険会社社長等を歴任した。雑誌『交通雑誌』を刊行、『脩身階梯』(1875)、『官吏論』(1891)などの著書がある。下村海南の父。
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