倒幕派の中心となった人物。父は萩藩士。藩校明倫館、松下村塾に学ぶ。安政5(1858)年に昌平黌に入学するが、6年藩命で帰国する。文久3(1863)年萩藩外国船攻撃の際、登用されて奇兵隊を結成し、外国勢と戦う。元治元(1864)年四国連合艦隊との講和において正使として活躍。第1次長州征討の後、藩論を討幕に転換し、慶応2(1866)年鹿児島藩との間に薩長連合を締結。同年6月第2次長州征討で指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ったが、翌年馬関で病死した。