明治28(1895)年帝国大学を卒業、外務省に入る。30年にドイツ公使館に勤務、その後ベルギー、韓国、アメリカの公使館書記官を歴任。日露戦争後の39年奉天(現瀋陽)総領事。のち外務省通商局長をつとめ、敏腕家と言われたが、44歳で病死した。