父は佐倉藩の蘭方医佐藤泰然。幕府御殿医林洞海の養子となる。慶応2(1866)年に幕府留学生としてイギリスに留学。帰国後、箱館戦争に参加し、捕らえられる。明治4(1871)年に明治政府に出仕し、工部省、香川県、兵庫県知事等を歴任し、24年外務次官となる。その後、駐露公使、駐英公使となり、日英同盟の締結に尽力した。第1次西園寺内閣で外相、第2次西園寺内閣で逓信相として再度入閣し、一時外相も兼任した。
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