父は萩藩士。藩校明倫館に学ぶ。奇兵隊へ入隊し、第2次長州征討、戊辰戦争で活躍。兵部権大丞、東京鎮台司令官、広島鎮台司令官を歴任。西南戦争時は第3旅団司令官として従軍。明治17(1884)年大山巌に随行し欧州各国の兵制を視察。21年藩閥勢力と対立し、予備役に編入される。同年11月、学習院長に就任。23年貴族院子爵議員。28年朝鮮国駐在特命全権公使に就任。閔妃暗殺に関与。のち枢密顧問官。政党勢力を重視するようになり、第二次護憲運動では3党首会談を仲介した。