歌舞伎俳優。七代目の五男。河原崎家の養子となったが、明治7(1874)年九代目団十郎を襲名する。演劇改良運動に熱心で従来の荒唐無稽を排した活歴物を主唱、上演した。また、「新歌舞伎十八番」を制定。広い芸域の中で特に時代物を得意とし、第一人者として絶大な人気を博して同時期に活動した五代目尾上菊五郎、初代市川左団次とともに「団菊左」と称された。俳優の社会的地位の向上に貢献したことでも知られる。
第130回常設展示 市川団十郎の系譜